アイリーン 第一章 -リッカルード-

15.半端者のつらさ

 
昨日から俺は、屋敷にある本を片端から読み漁っていた。
今まで意識を向けていなかったような半分わけのわからない用語で埋まっている専門書も、根気よく読めば部分的には理解できるものだと知った。
実家では『本が友達』みたいな生活をしていたから、読書は割りかし好きな方だった。
今は専ら『馬の生態』がお気に入りだ。


「アイリーンがそんなに馬好きだなんて知らなかったよ」

俺が見向きもしないのに耐えかねたのか、こっそり入ってきてソファに腰掛けていたイーグルが言った。

「別に俺が何を好きだっていいだろ」
「こら、そんな冷たいこと言わないで」

はぁとため息を吐いて、立ち上がった。
こっちに近づいてくる気配がする。

「それに、ちゃんとこっち向いて話して」

くいっと頬を挟まれて、上を向いた。
俺の座っている椅子に向かい合って立ち、屈むようにして俺を見ている。

「何?」

思ったより自分でも冷たい声が出た。
頬に添えられた手がぴくりと反応した。

「……何か怒ってる?」
「何で」
「わからないから聞いてるの」

悲しそうな顔をされた。
綺麗な顔が歪んで、眉間にぐっと皺がよる。

「別に…」

ばっと無理やり顔を逸らした。
本を読みたいのに、文字は一向に頭に入ってはくれない。
さっきから右から左へ抜けまくっている。

「ページ、進んでない。」
「っ!?」

耳元で囁かれて慌てて飛び退こうとしたけれど、椅子の背もたれに手をついて囲まれてしまった。

「アイリーン、ちゃんと言って。俺が何した?」

どうやら逃がしてくれそうにもない。
至近距離で見つめられて居心地が悪くなり、ふいっとできるだけ顔を俯いた。

「………すんなよ」
「…え?」

今度は顔を上げてきっと睨み返す。

「女扱いするなって言ってるの!」

イーグルはきょとんとした顔をした。
よくわからないって顔をしている。
こうなったら仕方ない。
きちんと話し合うべきだ。

「…俺より美人な人はいっぱいいるだろ?」

自分は容姿をどうこう言っても仕方がないが、それよりもまず、俺には性別の問題もある。
未だに“女性”としての意識が薄い俺は、俺が知っているふわふわした女の子のイメージには程遠い。
男にも女にもなりきれない半端者だ。
自虐的な言葉と分かっていても、言わずにはいられない。
顔を合わせているのが辛くなってまた俯いてしまう。

「俺は自分が女だってまだ疑わしいくらいだよ。昨日今日で女らしくなんてできないし、まだまだなんだってわかってる。こんな奴より他の人に時間を使うべきだよ」

シシィに聞いた女遊びの話、あれはきっと事実なんだろう。
どう考えたって、俺じゃその相手には役不足だ。

「それ本気で言ってるの?」

イーグルの言葉にこくんと頷く。
だって仕方ないじゃないか。
今まで、16年間もずっと自分が男だと思っていたんだ。
人から言われただけで簡単に覆るような思い込みじゃない。
胸があったってそれは変わらない。
あるからなんだって言うんだ、くらいに開き直りさえしている。
意識の問題だ。
俺は、俺の思う『女性』ではない。

「胸、下着つけてないだろ」

そう言ってぐいっとシャツの前を引っ張る。

わわっ!やめろ、ボタンが千切れる。

手を払って睨み付けても、目の前の碧眼美人は涼しい顔をしてやがる。

「しかも、Cぐらいあるね」

…ちゃっかり何確認してんだ。
しかも、そんなのなんで見ただけでわかるんだ。
そこにもかすかな疑念を抱く。

「下着つけなきゃ後々大変なことになるよ」
「ほっ、放っとけよっ」

今は俺の下着の話じゃない。
もう本当に女なんて面倒だ。

「放っとかない」

前を掻き集めたままの恰好で抱きしめられた。
心臓の音がドクドクいってるのがわかる。

「最初はただの興味だった」

片方の耳がイーグルの胸元に押し付けられて、ギュッて抱きしめられているから、反対の耳に神経が集中する。
静かな優しい声が上から聞こえた。

「どう見ても女の子にしか見えないのに自分を男だと思いこんでるし、自覚がないから女としての警戒心が全然ないし。…すぐに、守ってあげたいなぁって思うようになった」

少し体を離すと、俺のこめかみにちゅっとキスをして、俺の目が見えるように腕をつかんで引き離した。
鼓動の音が離れていくのが寂しくて、少し残念だった。

「毎日見てたんだよ?やることなすこと可愛いし、やたらと扇情的なのに、一つも俺を警戒しないんだから…」

それからすっと口を俺の耳元に近付けた。

「何度押し倒してしまおうと思ったか」

ゾクッとした。
普段とは違う妙に色っぽい声にどきどきしてしまう。
恥ずかしいから体を離そうとしても、今度はくっついたまま離してくれない。

「俺がどれだけ我慢してると思ってるの」

最後にそう囁いた後、ゆっくりと体を離した。

「分かった?」

俺は赤い顔のまま必死に何度も頭を上下させた。




 

 
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