アイリーン 第一章 -リッカルード-

19.手懐ける

見覚えのあるドアの前に立ち、躊躇してノブに手をかけられないまま、為す術もなく立ち尽くしていた。

「お入りよ。鍵はかかっていないはずだから」

俺の後ろでリッカが言った。
さっきから嫌でも逃げられないのはこの男がいるせいだ。
ため息を吐いてゆっくりとドアを開けた。

カチャ

ドアは軋みもせずにスムーズに開いた。
後ろから支えられて仕方なしに中に歩を進める。
腰に手をやるのはやめてほしい。

「さぁ、かけて」

座り心地の良さそうな、ふっくらした刺繍入りのソファに促され、勢いで深く座り込んでしまった。
思った通りフカフカだ。
オセロット家の椅子とどちらが上等なのだろうか。

「あ、あの、私…」

なんとか俺とは言わずに済んだのだが、明らかに反応した顔をされて、思わず口ごもる。

「やっぱり本当は女の子なんだ?」

やっぱりってなんだ。
前からそう思ってたみたいじゃないか。

「そうかなぁとは思ってたけど」

みたいじゃなくてそうなのか。

「そ、そうじゃなくて」
「まぁ僕としてはどっちでも構わないんだけどね」

聞けよ。
ってか、構ってくれ。

俺の心の声も虚しく、リッカはさっさと、用意されていたと見える紅茶(だと思われる液体)をカップに注ぎ、ソファの前のテーブルに2つ置いた。
それをぼんやりと見ていると、今度はさっさと俺の隣に座り込んだ。

「で、ウィルは…あ、ウィルでいいのかな?」

俺の愛称に代わりはないのでそのまま頷く。
あえて本名を告げるつもりもない。

「ウィルはこの前はなんで急にいなくなったの?」

ギクッとした。

「す、すみませんでした。謝って済むことなのかわかりませんけど、この間は身を偽ってここにいたので、ああするしかないと思ったんです」

教えられた通りに言い訳をする。
まさかこんなに早く使う羽目になるとは思わなかった。
棒読みに近いが、そこは致し方ない。

「偽るって女だってことを?」

コクコクと高速スピードで頷いた。

「何で偽る必要があったの?」
「男だって言った方が、…小姓の方が給与が良かったからです」

これも教え込まれた答えだった。
俺の貧困さから考えれば、もしあの時に自分が女だってことを分かっていたとしても、そうしていたかもしれない。

「言ってくれたら給与ぐらい上げてあげたのに」

そんな馬鹿な。




紅茶のカップをカチャリと置く音で、ハッと意識を戻した。
どのくらい経っただろうか。
もうこの部屋に入ってから随分な気がする。
その間、他愛もない話を延々として、敢えて詳しい話を聞かないだけなんじゃないかと内心ビクビクしながら、話を右から左に聞き流していた。
話が尽きると紅茶を飲んで、…その紅茶さえも切らしてしまった。
恐ろしいことこの上ない。
この沈黙が非情な苦行のように思えてくる。

「睫、長いね」

予想外に近い場所で声が聞こえて、文字通り飛び上がった。

ち、近い!!

振り向けないほど近いところにあるのが、息遣いが聞こえるせいでよくわかる。

「あ、あの…」

ソファの上で可能な限り後退りする。何とか間を広げてもすぐに縮められてしまって、隅まで来て逃げられなくなってしまった。

「ウィル…」

すっと手が伸びてきて…

「あ、あのっ!」
「なに?」

俺をソファに押し付けたまま、聞こうとしているのかさえわからない。

「だ、だめです!おやめください!私はご奉公に来た身、ただの女中にすぎませんっ」
「ただの女中ねぇ…」

少し体を離して、思案気に腕を組んだ。
できた隙間にほっとしたのも束の間、コンコンとノックの音が聞こえて、同じ女中の恰好をした女性が入ってきた。

「失礼します。替えのお紅茶をお持ち致しました」

手にはポットを持っている。

「ああ、君…今日から配属替えね」
「え?」

突然言い出したことに、俺も入ってきた女の子もびっくりして固まっていた。

「僕の世話係はこの子に変更になったから。新しい配属は執事のランセルくんにでも聞いてくれる?」
「で、でもリッカルード様」
「紅茶をありがとう。もう行っていいよ」

女の子からさっさとポットを受け取ると、半ば追い出すようにドアを閉めてしまった。
そうしてくるりと振り返る。

「ほら、これで君は僕の『特別』だよ」

そんな馬鹿な。
どうして君主というのはこうも横暴な人たちばかりなんだ。

気分は蛇に睨まれたカエル…というよりは、蛇に懐かれたカエルだった。



 

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