アイリーン 第一章 -リッカルード-

22.油断は禁物


目が眩む。

見たこともないような、光、光、光。
そして人、人、人。
これがいわゆる社交界というやつか。

「さぁ、ウィル。こっちにおいで」

腕を取られてふらふらと付いていく。
脳みそに殆ど残っていないが、それでも何人かの人を紹介されたのがわかった。
もちろんその紹介は俺宛じゃなくて、その隣にいる貴族様にだ。
一介の女中如きが、貴族にすんなりお目通りされるもんじやない。

「おや、こちらの可愛らしいお嬢さんは…?」
「僕のお付きの者です。専属のね。」

含みを持った目、言葉。
どれも腹の探り合いに見えて仕方ない。
それまでもろくに入ってこなかった言葉たちを、いつの間にかすっかりシャットアウトしていた。

リッカはこの夜会の主催者だから、当然忙しい。
俺はそれを補佐しなくてはいけないのかもしれないが、生憎と自分のことでいっぱいいっぱいになってしまっていた。
気付いたらリッカは遙か遠く、きらびやかな集団に囲まれていた。

(ちょっと、しんどいな…。今、少しだけ…)

ふらふらと会場の端へと向かう。
誰も俺に気付かない。
いや、気に掛けないと言った方が正しいか。
そりゃそうだ、どこの誰とも分からないこんな貧相な女に目をつけたって、得るものはろくにないだろう。
…全くないかも。
当たり前のことが、今は正直有り難かった。

カタン

テラスに続くドアを開け、はためくカーテンをくぐって外に出た。
少し肌寒いが、その寒さすら今は気分を晴らすもののようで心地よい。
残念ながら後ろから差す光でたくさんは見えなかったが、それでもいくつかの星を見ることができた。
あの真っ直ぐ正面に見えるのは、一等星だろうか。
すごく明るい。
ぼうっと星をただ眺めていると、不意に寂しさが込み上げてきた。
世界でたった一人、この空を見ているんじゃないかとすら思う。

カタンと後ろで戸が開く音がしても、俺は振り向かなかった。
あえて干渉なんてされないだろうし、するつもりもなかった。
でも思惑ははずれて誰かが近付いて来たのが、気配で分かってしまった。
こんなところだけは敏感だ。

「空が綺麗だね」

男の声だった。
ちょっと嬉しくなって、振り向かずに答える。

「綺麗ですね」

ふっと影が近くなって、驚いて振り向こうとした瞬間、捕らえられた。


「君もね…」

男の声がすぐ近く、耳元で聞こえた。
肩がびくんと跳ねる。

いつの間にか、テラスの手すりに手を突くように、囲まれる形になっている。
耳元に息が掛かり、体が訳もなく震え、どうすることもできない。
折角息抜きに来たというのに、それが命取りだったのか―…。

はぁぁぁー…

キュッと目を瞑って観念した頃、真後ろで盛大なため息が聞こえた。

「なんでわかんないかな」

そのままぎゅっと抱き締められる。

えっ、えっ、ええええ

「い、イーグル!?」
「当たり」

思わず見上げれば、ちゅっと額にキスされて、青い瞳と目が合った。

「迎えに行くって言っただろ?」
「いっ、言ったけど」

早くないですか?
まだ何にも探れてないですが…

「どうせ、すぐにあいつに見つかって、動けなくなってたんだろ」

エスパーか!?

「そんなこととっくに予想済みなんだよ。アイリーンに初めからそれを期待していたわけじゃないしね」

なっ、何ぃ!?

「じゃあ何のために」

腹が立ったけど、それを食い下がって問い返した。

「君と同じ頃にもう一人潜入した者がいてね。もうそっちから情報は仕入れてあるから」

飄々と、目の前の男は言ってのけた。
でも、嬉々としてそれを語った瞳は、次の瞬間すぐに陰りを見せた。

「アイリーンが予想以上にうまく気にいられてくれちゃって、随分とうまい隠れ蓑になってくれたもんだからね。こっちとしても思ったより早く迎えに来ることができたのは確かだよ」

…ちょっとイヤミっぽくないですか?

ふいと目を逸らして、なんだか拗ねているみたいだ。
怒りたいことは山ほどある。
俺を囮に使ったこととか、初めから期待されてなかったってこととか…
山ほどある。

あるけど…

「早く来てくれてありがとう」

このままいじめたらそのまま本気でいじけそうだから、代わりにきゅっと抱き付いてやった。

「…寂しかった?」

イーグルが俺の背中にゆっくりと手を回した。
ちょっとくすぐったいけど、温かさが、悪くない。

「うん」

正直に頷くと、背中の手が更にきゅっとなった。
流石に苦しい。
苦しいと文句を言おうと思った時

「ウィルー?」


バカ坊ちゃんの俺を呼ぶ声が、扉の向こうで聞こえた。



 
Copyright (c) 2008 Tasuku Yuki All rights reserved.
  inserted by FC2 system