アイリーン 第一章 -リッカルード-

23.馬鹿坊ちゃん

 
「ウィルー?」

中から聞こえる声にはっとして、イーグルから離れようとした。
なのに、一向に腕を解いてはくれない。

「イーグル?俺、戻らなきゃ」
「いやだ」

そんな駄々っ子みたいな。
当主様が何言ってんだか…

「イーグルだってバレたら危ないだろ?ラトレア家の夜会なんだし…」

敵対する家の当主。
もちろん顔だって割れているんだろう。
ここに入って来られただけで、充分に驚きだ。

「ウィルー?」

声は止まない。
このままじゃ、余計に怪しまれてしまう。

「ほら、ちょっと行ってくるだけだから」

ぐいっと両手で押し返して、イーグルから離れた。
そのまま振り向かずにテラスを出る。
一瞬、戻ってきたまばゆい世界に目が眩んだ。

「ウィル!どこに行ったのか、探したじゃないか」
「すみません」

何をしていたのか、聞かれるかと思って内心ひやひやしていたが、そんな心配はすぐに杞憂に終わった。

「ほら、まだあちらに紹介が済んでいないんだ。お得意様だからね。欠かせないんだよ」

さっさと腕を引かれて、思いっ切り振り払ってやりたくなった。
並べ立てた言葉たちに意味はないと分かっていても、その裏に潜む蔑みの言葉や目に、もう一度対面するのは苦痛だった。
この男がどういうわけで、俺を紹介して回っているのかはわからない。
でも、どうであれ、俺がどう思ってるかは関係がないみたいだった。

(別にただの女中で構わない)

リッカの特別になりたいわけじゃない。
俺は元から、そう良い身分でもないので、こんな扱いの方が慣れている。
ぐいぐいと腕を引かれ、ある人物に近付いていく。
近付くにつれ、身が強ばった。
さっきの温かい気持ちが嘘のように―…


「このコは俺がもらう」


前に進んでいた体が、後ろに引き戻され、冷えていた躯にまたあの温もりが触れた。

「…っオセロット!」

会場がざわめく。

「お前にアイリーンを渡すわけにはいかない」


リッカの特別になりたいわけじゃない。

でも

誰かの特別になりたかった――…



「オセロット…どうやってここへ…」

腕を掴まれた姿勢で頭だけ振り向くと、イーグルはすごく冷たい目でリッカを見ていた。

「客に…中に気を配り過ぎじゃないか?容易かったよ。ほとんどノーパスで来られたぞ」
「なっ…!?」

ぐっとリッカが詰まる。
後ろのお偉いさん方も、何事かと様子を見に集まってきた。

「これはこれは、シェラディン伯爵。こんな所で油を売っていて良いのですか?」

リッカが得意先だと告げていた、小太りの男に目を向けた。
男は明らかに不審な目を向けて、リッカとイーグルをちらちらと交互に窺っている。

「オセロットくん、どういうことかね」

どうもこうも、とイーグルは大袈裟にため息を吐いた。

「あなたの行おうとしている取引は、非常に危ないものだということですよ」
「なっ、何を言っている…!?」

リッカが掴み掛かるように、イーグルに近付いていく。

「勝手なことを言うな!おい、誰かこいつをつまみ出せ」

周りに控えていた従者たちに命令をする。
イーグルはそれでもどこ吹く風だ。

「地下の一室である物が大量生産されているらしいな」

びくりとリッカの体が跳ね、顔が苦笑いに歪んだ。

「何を…」
「それもすぐには隠しきれない量を」

イーグルはさっとポケットから小さな袋を取り出し、前にかざして見せた。

「これと同じものを証拠として役所に提出した」

一瞬でリッカの苦笑いは止まり、急激に顔の色がなくなる。
もはや白に近い。

「そのうち捜査官が十人ほど乗り込んでくるはずだ。…こんなにゆっくりしていていいのか?」

ふっと嘲るようにイーグルが笑った。
それすら、ひどく妖艶だと思った。

「…っ!…こいつのことは後回しだ!さっさとあそこへ急ぐんだ!」
「はいっ!!」

周りの者たちもびくっとなって、一斉に会場を出て行った。

「おい、オセロット!逃げるんじゃないぞ」

ギロリとリッカが睨み付ける。

「リッカルード。時間がないんじゃないか」

「うるさい!この落とし前は後で必ず…」

そこでリッカは声を切った。
入り口の方を凝視している。

足音…?

「本当に時間切れだな」


リッカの耳には既に入っていないようだった。



  
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