アイリーン 第一章 -リッカルード-

25.安心の色

 
結局、そのままオセロット家に逃げ帰った。
ラトレアの屋敷の外には、またあの黒馬車が控えていて、俺たちが乗り込むとさっさと走り出した。
俺は馬車の中から、ぐんぐん遠ざかる館を眺めていた。
今さっきまで、あそこの中にいたのが嘘みたいだ。

「リッカルードはこれでしばらくは、謹慎の身だな」

ふっと呟くような声だったけれど、独り言には思えなかったので頷き返した。

リッカ―…
お馬鹿なお坊ちゃんで、世間知らずで、自信過剰で、なかなか訳の分からないヤツだったけど…
嫌いじゃなかったな。
ちょっとだけ、あのバカ坊ちゃん振りが懐かしくなった。
本気かわからないけど、俺を好きだとも言ってくれた。
こんな俺だけど、やはりそう言って貰うのは、少なからずも嬉しいことだった。
普段、誰からも言われたことがない分―…俺にとって、素直に嬉しい言葉だった。
好きだなんて、家族にさえ言われたことがないし、言ったこともない。
そんな気持ちも…

家族にはカインにしか思えない。
兄や親父なんか論外だ。
家族以外には―…


「何を考えてる?」

はっとして唇に触れていた手を引っ込めた。
その行動が墓穴だったのか、すぐににやりとした青い目と、目が合ってしまった。
ぱっとすぐに逸らしたけれど、それもまたイーグルにとってはおもしろいものでしかなかったみたいだ。
二人だけの馬車の中で、クスクス笑いがよく聞こえる。
俺は火照った頬を押さえ、窓にまた目を戻した。

「帰ったら、今日はゆっくり休むといい。いろいろあるだろうけど、話は明日にしよう」

帰ったら…

「俺、まだ…」
「ん?」
「まだ、あそこにいてもいいの?」

ふっと静かになった。
ぎゅううって痛いほど、手を握り締めた。
正直、まだ実家には帰りたくない。
折角家を出ることが、あの親父から離れることができたのに…

「当たり前だろ」

無意識に、あの綺麗な青い目を探していた。
今度は…今度は、すごく優しい目だった。
温かくて、包み込むような、安心する目だ。
胸の中から何かが湧き上がる。

「一緒にいよう」

優しく笑う青い瞳と目が合って、すごく暖かい気持ちになって頷いた。
それで安心してしまったのか、急速に眠気が襲う。
ああ、そういや、最近あまり眠れていなかったっけ…。

いつの間にか、俺は馬車の中で眠りに落ちていった。





しばらくして目が覚めると、目に映ったのは見覚えのある部屋だった。
しばらく前に、毎日のように眺めていた天井が、今目の前にある。

「起きた?」

ゆっくり横を見上げると、イーグルがこっちを覗き込んでいるのが見えた。
体を起こすと、ぎしっとベッドが軋んだ。

「起こしてごめんね。少しだけ、聞いておかないといけないことがあったから」

イーグルは俺の寝ていたベッドの端に腰掛け、俺の脇に片手を突いてこっちを見ていた。

「…何?」

眠い目を擦り、なんとか顔を上げる。
お互い座っているのにこの身長差だ。
それでもイーグルの胴が長いわけじゃない。
脚もかなり長い。
昔読んだ本の、足の長いおじさんみたいだ。

「アイリーンは家出してきたって言ったよね?」

こくんと頷く。
不安がよぎり、顔が曇るのが自分でもわかる。
…俺、追い返されるのかな。

「そんな顔しない。別に責めてるわけじゃないんだから」

ちょっとほっとした。
あからさまだったかな?
…やだな。
なんか俺、すごく我が儘になってるみたいだ。

「ほら、しゅんとしない。聞きたいことがあるって言っただろ?」

ぱっと顔を上げると、むにっと頬を摘まれた。

「追い出したりしないから」

やっぱりイーグルはエスパーだ。
ほっとしたのが分かったのか、イーグルはよし、と頭ぽんと手を乗せて笑った。

「じゃあ聞くよ?」

今度はしっかり頷いた。
どんと来い。

「アイリーンが今ここにいることを、誰か知ってる人はいる?」

首を横に振る。
前に俺をラトレア家に送り込んだ依頼主さえ、知らないはずだ。

「家族は?」

これも横に振る。
帰りたくないくらいなのに、言う筈がない。

「連絡しなくても大丈夫?」

家族に?
首を今度は縦に振ろうとして

「アイリーン?」

やめた。

あの家には戻りたくない。
ないけど、会いたい人がいないわけじゃない。
例外だっている。

カインだ。

「…いる」
「え?」
「連絡したい人」

イーグルはちょっと驚いた顔をしたけど、すぐに頷き返してくれた。
 
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