アイリーン 第一章 -リッカルード-
3.それぞれの思惑
更に暴れようとしたところで、ドアがカチャリと開いた。
「何をしていらっしゃるんですか。困っておられるでしょう」
声の割に平然とした態度で、フェイさんが部屋に入ってきた。
この異常な体勢にもっと反応してほしかったが、助け舟には変わりないので良しとしよう。
「フェイ、お前はなんとも思わなかったのか?」
「いえ、私も初めは少しばかり驚きましたけれど…」
何がだ!っとツッコミたかったが、二人とも真面目そうなのでやめておいた。
二人の奇妙な会話は、俺を無視して続けられていく。
「けれども、一介の執事でしかない私が口を挟むことではないでしょう。人にはそれぞれ事情というものがあるのですし」
「だからって…」
全くもって二人が何を言いたいのかはわからないが、どうやら俺についてのことだというのはわかった。
まぁそれも今はどうでもいい。
俺はイーグルの手が緩んだのを見て、その場からなんとか逃れた。
「あの…」
フェイさんに近づく。
「ああ、手当てがまだでしたね」
「おい、まだ話は…」
イーグルがまた引き戻そうとするが、フェイさんに遮られた。
「私がウィルさんを手当しますから、イーグル様はお客様のお相手をお願いできますか」
お願い、というよりはむしろ強要、といった感じでドアを慇懃にあける。
礼節はわきまえているが、どこか威圧感があって怖い。
執事なのになんでこんなに強いんだ…。
実は裏で取り仕切っているのはこの人なんじゃないだろうか。
「応接間にお通ししておきましたので、もう既にお待ちになっていると思いますよ」
「ラトレアのものか」
その言葉を聞いて俺の肩がびくっとなる。
今度は俺にも分かる話だ。
「ええ、お客をとられてご立腹のようです」
さあ、と促され、イーグルがゆっくりと部屋を出て行った。
パタンとドアが音を立てて閉まる。
それに併せて、俺も部屋の中へと向き直る。
「さあ、手当てをしましょう」
フェイさんが薬箱のようなものを片手に、俺にソファへ座るよう促す。
言われるまま、大人しく座って手当てを受けた。
思ったより傷の数が多くて、消毒液がしみるたびに閉口する。
手当てが終わっても、体全体がエタノール臭い。
「…あの……」
「はい」
ちょっと躊躇ったが、やはり決心して言うことにした。
俺が声をかけても、フェイさんの表情は変わらない。
「俺がここにいるのは迷惑になるんじゃないですか?」
「ああ…、もしかして来訪者を気にしていらっしゃる?」
もしかしなくても気にしまくっている。
だって俺が追いかけられていたのは、ラトレアというこれまた名家の家だったからだ。
俺は噂でしか知らないが、オセロット家とラトレア家というのは名家の中でも一二を争う大派閥で、昔から非常に仲が悪い。
治めている地帯が近接し、中には領土問題のようなことまで起こっている。
オセロット家はこの屋敷があるクイディア、それからアンシャードのサンロードと呼ばれる南北に二分する道を隔てて南側を治めている。クイディアもアンシャードも国随一を誇る大きな地方で、面積・人口の多さもさながら、商業の発達した大変活気のある一帯だ。
クイディアの中には農村部もあり、没落貴族や農民など、商業の発展についていけなかった者たちも住んではいる。
だけどそれはほんの一部で、この領地の大抵が商業地である。
対するラトレアはアンシャード北部、そしてヴィネアという大きな港町を持つ水産業に富んだ地帯を所有している。
土地の規模も人口もオセロット家の領地には適わないが、水産業の発達した近年、急激にその勢力を強めている。
「確かにラトレアの訪問には良い思いがしませんが、あなたは庇われるだけの意味が私たちにはあるのですよ」
フェイさんの言葉にまじまじと俺は見返してしまった。
「私の口からは詳しく言えませんが、…あなたはただ逃げてきたわけじゃないんでしょう?」
そこでフェイさんも俺をじっと見た。
フェイさんの目は琥珀色で、赤茶けた短い髪によく合っている。
はっきり言って彼も美形だ。
やはり美人に見つめられるとたじろいでしまう。
「私は執事ですから深いことに口出しするつもりはございません。ただ、イーグル様には事情をお話しないといけなくなってくるでしょう。それが庇い立てする条件です」
「………」
俺は二の句が告げなかった。
庇われる理由、それを口に出していいものなのか、俺だけでは決めかねた。
「ほら、手当ても済みましたよ。もう動いてもいいです」
俺は礼を言ってソファから立ち上がった。
あんなに打ち身をしたというのに、不思議とどこも痛くなかった。
「もうそろそろお客様がお帰りになる頃でしょう。私はお見送りに立たないといけませんから、ウィルさんは先にイーグル様のお部屋でお待ちいただけますか?」
「あ、はい」
正直、ラトレア家の人に会わなくて済むのにはほっとした。
会ったって俺には責められる理由はあっても、喜ばれる理由はない。
「それでは、ご案内いたします」
ゆったりとした動作で促され、俺は客室を後にした。
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