アイリーン 第二章 -カイン-
13.砕ける音
恐れていたことはすぐに起こった。
「旦那様がお呼びです」
最近入った女中だろうか。
初めて見る顔の女性が、俺の部屋まで呼びに来た。
この人がこの屋敷の3人目の奉公人か。
躊躇ったけれど、俺は何とか重い腰を上げた。
カインが今、留守なのは知っている。
恐らくは家の仕事だ。
いつか一対一で親父に向き合わなければいけないとしたら、俺を甘やかす人のいない、今しかない。
―大丈夫。
俺はぎゅっとポケットを上から握り締めた。
* * * * * * * * * * * * *
コンコン
「ウィルです」
「入れ」
ノックの後の低い親父の声。
それだけで震えそうになる。
「…失礼します」
なるべく視線を避けて、お辞儀を装って俯いたままの姿勢でいた。
それでも刺すような気配を十分に感じる。
コトリ
親父の重い革靴が、古い床板に音を立てた。
「あの男は出て行ったそうだな」
コトリコトリと、近づく足音に、震える体を懸命に抑える。
コトリ
すぐ近くで音が止む。
足元には影。
上からは強烈な視線を感じる。
「それとも…追い出したのか」
嘲笑うように、くっと一つ息を漏らした。
重い、息がかかるようだ。
「…オセロット家の当主とはな。またすごい者を手懐けたものだ。…さすがあの女の血を引いているだけはある、か」
瞬間、ピリリと口元に痛みが走った。
「っ!!」
その後に、頬がじんわりと鈍く痛む。
口内に広がる鉄の味。
忘れかけていた、痛み、味、恐怖。
自分がいつの間にか床にへたり込んだことにさえ、気がつかなかった。
がくがくと無意識に震える体。
座っていても膝が笑うのがわかる。
「売女め。二度とここから逃げれんようにしてやろう」
死刑宣告。
俺のなけなしの勇気は、儚く散った。
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