アイリーン 第二章 -カイン-
14.せり上がる
暗闇の中、背中の冷たさだけを、ただ感じていた。
体中、どこが痛いかわからないくらい、殴られた。
もう、抵抗しなければ少しは早く終わるのがわかっていたので、なされるままにしていた。
ただ、運が良いのか、すぐに冷え切った蔵の中に放り込まれたので、冷たさが体の痛みを麻痺させてくれている。
幼い頃からのパターンで、何か小さなことでも落ち度があれば叱責され、少なくとも2発は殴打され、その後は決まってこの蔵に閉じ込められる。
この蔵は天井近くに一つ開口部があるくらいで、あとは入り口の扉のみ。
元は穀物を貯蔵しておくための蔵なので、当たり前と言えば当たり前なのだが。
なんとか端に体を引きずり寄せ、背中を預けるようにして座り込む。
足を引き寄せようとして、ずきんと鈍い痛みが走った。
(どれくらいで治るだろうか…)
傷の回復速度は、今までの経験上、大体読めるようになっていた。
今回は足の痛みを除けば、さほど酷い傷もなさそうだ。
表面的な傷は、痣が薄くなるまで大きなもので約一週間。
後は擦り傷だから、割と早く治るだろう。
(カインが戻ってくるまでには間に合わないな…)
カインはいつも俺がここに閉じ込められていると決まって助け出してくれた。
俺の身体が傷だらけなのを見ては憤慨し、やがては親父に抗議までするようになった。
親父は俺に一番厳しいとは言え、他の兄弟たちに優しいわけではない。
俺に対しての理不尽な怒り程ではないが、兄たちにも怒りの矛先が向くことはある。
俺への態度が悪辣なので、その普段の怒りはずいぶんと穏やかに見えるのだが。
カインとて例外ではない。
義母さんの唯一の実の息子で再婚した時の連れ子だったので、父さんも一番態度が軟化しているように見える。
でも、俺に対しての抗議の時は、今までにないくらいカインにきつく当たった。
俺のせいで顔に痣を作ったカインを見た時、自分が殴られた時よりひどくショックを受けた。
カインは平気だと言っていたが、俺は全然平気じゃなかった。
自分がさらに悪いことをしたように感じてしまうのだ。
カインが俺を置いて数日も家を空けるとは思えない。
どんな用事であれ、明日明後日には帰ってくるだろう。
だとしたら、カインが殴り込みに行かないように、宥める理由を考えないと…。
あとは―・・・・・・
ふと、暗闇に幻覚が見えた気がした。
目を閉じれば、瞼の裏に焼き付くように浮かび上がる。
金糸のような、日に透けてキラキラと輝く髪。
深い、ブルーの瞳。
中性的な顔立ちのせいか、甘く囁くときはひどく妖艶な笑みを見せる。
身長が高く、幼い頃から鍛えているらしい体は筋肉の付き方も綺麗だ。
デカいくせに、ラインが引き締まって美しくも見える。
小さな俺がすっぽり収まってしまう腕とか、優しく撫でてくれる大きくて温かな手だとか。
目が合うと、笑ってくれて、瞳の青が普段より明るく見えること。
耳元で囁かれると、胸がギュッとなるような低く甘い声だとか。
あの、触れるときの切なくて、熱い…
(会いたい…っ)
暗闇の中、何よりも胸が痛くなって、ギュッと目を瞑った。
座り込んだ体勢のままで、自分の体をきつく抱き締める。
骨っぽい身体。
俺が欲しいのは、こんな感触なんかじゃない。
―…会いたい。
会って、笑ってほしい。
優しく触れて、あの温かい腕で包んでほしい。
あの甘い声で、馬鹿みたいに「好きだよ」って…
愛してるって囁いてほしい。
会いたい。
会いたいよ…。
暗闇の中で、帰ってきてから初めて、一筋の涙が頬を伝った。
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