アイリーン 第二章 -カイン-

16.切り札

 
「なんでこんなことになってるんだ!?」

聞き覚えのある声がして、薄く開いた目を、また閉じそうになった。

―ああ、以前にもこんなことがあったな…。

ひどく震えた女の声がするのは、たぶん先ほどの女中だろう。
やっぱり、怒らせてしまった、と知らずに眉根を寄せた。

(言い訳、考えてたのにな…)

大したものも思いつかなかったけれど、努力はしたのだ。
それが報われないのも、また悲しい。

「…ん、」

身じろぎをすると、ずきんとこめかみに痛みが走った。
口の中がカラカラで、声もうまく出ない。

「ウィルっ!?」

もう一度瞼を持ち上げると、俺に似ていない、精悍な顔が目に入った。

「…カイ、ン…ごめ」
「なんで謝るんだよ……」

苦々しそうに、視線を揺らす。
それがさらに申し訳なくなって、何度か謝罪の言葉を口にした。
「お願いだからやめて」と押し留められたが。


「もう、しばらくはウィルの傍にいるから」

水で湿らせたガーゼで、優しく俺の口元を拭った。
沁みるが唇が湿って少し喋りやすくなる。
ひた、と水桶につけては、何度となく傷口を拭う。

洗ってから、消毒。
小さい頃習ったそれを、ふと思い出していた。

「ウィル、ここを出よう」
「え?」

喜ぶべきその言葉に、うまく頭が回らなくて、なぜか不安を覚えた。

「帰ってきたのが間違いだった」

俺が言うべき台詞なはずなのに、弟の口から洩れるだけで、他人事のように感じる。
いや、逆に恐怖さえ感じる。

「い、いや、留まるよ、留まるっ」
「え?」

先ほどと同じ反応を、今度はカインがする。

「カインは出る必要なんてないじゃないか」

これ以上迷惑なんてかけられない。
しばらく連絡さえ入れなかったことでも、心配をかけていたと言うのに…。
それに、カインまで親父の犠牲になる必要はない。
ただでさえ俺を庇うせいで良い目を見ないというのに、これ以上だなんてとんでもない。
それに…カインには義母さんもいる。

「でも、」
「俺が大人しくしていれば大丈夫だよ」

折角笑って見せたのに、カインは苦虫を噛みつぶしたような顔をする。
ほら、と軋む腕を振って見せても、ますます曇る一方だ。

「カイン、俺、だいじょ」
「大丈夫とか言うんじゃないだろうな」

はい。
言うつもりでしたけれど?

…彫りが深いから、怒ると迫力があるんだよな。

「ったく」

しばらく睨まれた後、盛大にため息をつかれた。
…これで何回目だろう。

「こればかりは使いたくなかったけど」

む、と顔をしかめながら、どこか見覚えのある紙を差し出した。

「最後の手段、かな」

言葉の割には、弟の顔が、とんでもなく不機嫌に見えた。




 

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