アイリーン 第二章 -カイン-

17.迷走

  
一人空を見上げ、無意識に手の中の紙切れを握り締めた。
あれからまだ一日しか経っていない。
ランス兄さんとはうまく顔を合わせないで済んでいるが、ここに留まるならそうも言ってられなくなるだろう。
気が重い。
親父もセイルも…
次いではランセルまで、恐怖の対象となってしまった。
もう、俺に危害を加えないのは、カインだけだろう。
細々とため息をついて、俺はまた窓の外を見上げた。

心に反して、外は快晴。
嫌味なぐらいに、雲一つない。

「家を出る、か…」

俺は小さく声を洩らし、ため息を吐いた。
昨日のことがぐるりぐるりと頭の中で巡り続ける。



* * * * * * * * * * * * * * * * * * *



昨日カインが俺に差し出したのは、小さな紙切れだった。

『マルセロ通り33番地 フィメーリア』

そこにはそう書かれていた。

「この紙切れ…」
「…ウィルのポケットから、滑り落ちたものだよ」

どくん、と心臓が鳴った。
いやでも目に浮かぶ、シアンの瞳。

「ウィル…?」

急に押し黙った俺を、覗き込む。
じっと見つめる瞳に、唇を戦慄かせた。

「合わす、顔がない…よ…」

自分から出てけって言ったのに…
ひどい言葉を言って、突き放した。
あんなにも優しくしてくれた、あの温かい手を、振り払ったのは他でもない自分だ。

「会えないよ……」
「ウィル…」

どんな顔して会えばいい?
あの最後に見た、悲しそうな顔が忘れられない。
傷付いた、顔してた。
あの、綺麗な顔を歪ませて。
綺麗なブルーを曇らせて。

「会えない、…会えないよ…」

会えない


でも、本当は……会いたい……


会いたい会いたい会いたい


そう何度願っただろうか。
今すぐ、あのブルーの瞳に映してほしい。
今すぐ、あの温かい腕で抱きしめてほしい。

「会えないよ……」

気持ちとは裏腹に言葉が流れる。
カインがそんな俺を見て表情を歪める。
苦しくなってカインから眼を逸らした。

自分がこんな表情をさせていると分かっていても、自分がどんなにか勝手なことを言っているとしても、…今の俺にはどうすることもできない。



* * * * * * * * * * * * * * * * * * *


昨日を思い出して、俺はもう一度大きく息を吐く。
勝手に出るのだから仕方がないのだが、『ため息を吐くと幸せが逃げる』という諺通りなら、俺は無い幸せを更に無いものにしていることになる。

それでも吐かずにはいられないって思っちゃうのは仕方が無いだろう。

『留まるよ』
カインにああは言ったものの、ここで耐えていくということが、俺にはもう苦痛でしかなくなっていた。
一度飛び出した家だ。
外の快適さを、俺はもう知っている。

(だからと言って、行く当てもなし、…か)

もう一度オセロット家を頼るなんて都合の良い真似はできない。
だからと言って、他に知り合いも…

以前はリッカがいた。
バカ坊ちゃんだけど、うまくいけばかくまってもらえたかもしれない。
前の依頼主、ロンメル家も…
一応の知り合いではある。
だが、あそこはオセロット家と縁が深い。

他に思いつくところは…悲しいかな、一つもない。

「カインに黙って出て行くわけにも行かないしなぁ…」

後先も考えずに飛び出して、心配をかけてしまったことは、もう自覚している。
もう一度やったら、今度こそカインに合わす顔がない。
カインを失えば、正真正銘の独りぼっちになる。

「やだな…」

独りは寂しい。
それに、怖い。


「何がいやだって?」

振り向くと、戸口に噂をすればのカインが立っていた。



 
 
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