アイリーン 第二章 -カイン-

19.偶然か必然か

町に帰って来て初めて、一人で屋敷を抜け出した。
親父にばれないように、たった2時間だけで帰らなければならない。
目的は特にない。
ただ頭を冷やしたいだけなのだ。

「ちゃんと、考えて」

何が、とは言わずに俺を抱きしめていた手を、そうした時と同じように唐突に放した。
カインと逃げることか。
それとも、『大切な人』についての意味か。
その“何”について、堂々巡りをしながらひたすら考えた。
もう、頭がおかしくなりそうだ。

そんな考えごとをしながらふらりと立ち寄ったのは、あまり来たことのない通りだった。
この町は地元だとは言え、あまり外出のしたことのなかった俺にとって未知の領域だった。
深く物思いに耽りすぎていたのか…

「こんなところで、君一人?」

振り返ってみると、にやにやと嫌な笑い方をする2人組みの男がいた。
細身のひょろりとした背の高い男と、ずんぐりむっくりの小太りの男。
アンバランスな組み合わせが少し笑いを誘う。
ノッポの男が俺を舐めるように見た。
伸ばし始めてずいぶんと経った髪は今はもう肩を過ぎている。
これでは男には見えないらしい。

「危ないねぇ。こんなところ、女の子がうろつく場所じゃないよ」

微塵も心配など感じられない声で、そう下品に笑う。
ぞっとした。
気づいた時にはもう遅いと言うが、今の状態がまさにそうだ。
周りを見るも、人影もまばらな上に誰もが巻き込まれたくないとばかりに遠ざかる一方だ。

「っ…!!」

そのまま向き直って駆け出すけれど、すぐに袋小路に突き当たった。
まさに万事休す。
女の足では適わなかったらしい。
こんなところでも自分の弱さを感じて嫌になる。

「ざ〜んねん」

男の手が伸びてきて、恐怖に目を閉じた。

「おいっ!」

明らかに前の男とは違う人の声がして、目を閉じた俺に男の手が触れることは無かった。
代わりに間近で空気が大きく動く気配がした。

「ぉわっ」
「てっめぇ、何しやがんだ…!」

バキ、と打ち付けるような音がして目を開けた。
ノッポの男が地面に転がされ、起き直ってそのまま踵を返して逃げ出す。
小太りの男もそれを見て慌てて後ろから追いかける。
男たちが建物の影に見えなくなると、俺は気が緩んでそのまま地面にへたり込んだ。
後に残ったのはその助けてくれた人と俺。

「あ、ありが」

謝罪と感謝の意を伝えようとして、その人物の方に顔を上げた。

「「っ!!」」

青色の双眸とかち合い、同時に固まる。
声からなぜ気付かなかったんだろう。
しばらくはどちらも無言だった。
初めにイーグルがくしゃりと顔を歪ませた。
笑ったと言うよりは、笑い損なったって顔。

「……大丈夫?」

距離を近づけぬまま、何とか聞こえる程度の声でイーグルがそう言った。
しばらく呆けていたが何とか頭を上下させた。

「だ、だいじょ」

声に出そうとして失敗した。
慌てて引っ込めたが、喉がひくりと鳴ってしまった。
そのまま何も言い切れずに下を向く。
ぽたり、と剥き出しの地面に水滴が落ちる。

「っ、く…」

食いしばれば食いしばるほど嗚咽が洩れた。
そんな状態で顔も上げられず、必死に涙を飲み込むことだけを考えた。
じゃり、じゃりと地面を踏みしめる音が近付いても、そちらに意識をやることさえできない。
考えないように、気取られないように。

どうか、それ以上近付かないで。

「アイリーン……」

名前を呼ばないで。

「ぅ…く、ひっ、ぅう」

崩れてしまうから。

「会いたかった」

ふわりとあの温かい腕に抱き寄せられる。
もう我慢できなかった。
ひくりひくりと何度も嗚咽を繰り返し、瞳をきつく閉じて溢れる涙をやり過ごした。
なのに優しく背中をなぞられ、耐え切れず幾筋も止め処なく涙が溢れる。

「ずっと…ずっと、アイリーンのことだけ考えてた」

優しく大丈夫だと手で伝えながら、言葉は別の感情を伝える。

「会いたくて、でも待つことしかできなくて…。会いたくて、抱きしめたくて、気が、…狂いそうだった」

目を閉じたままの俺の頬を、熱いイーグルの手がなぞる。
ゆっくりと顔を寄せ、舌先で涙を掬い取り優しく目じりに唇を落とす。
空いた手は何度も髪を撫で、優しく諭すように往復を繰り返した。

「やっと会えた」

目をようやく開けると、青い瞳が逸らすことなく俺を見つめている。
吸い込まれそうなブルー。
夢にまで見た色だ。

「心配で、…でも、愛しくて、会いたい気持ちの方が大きくて、会いにいけなかった。俺が会いにいったのでは意味がないって、何度もそう言い聞かせて」

苦しげに揺らぐその瞳を、切なげに歪むその顔を初めて見た。
胸の締め付けられる思いで必死に見返す。

「でも、限界」

イーグルの顔がゆっくりと近付いて、俺はまた瞼を閉じた。
温かいものが、優しく唇に触れ、目を開けるとまた青い瞳とぶつかる。

「愛しすぎて、おかしくなりそうだ…」

揺れる青の中に自分の姿を見つけ不思議な安堵を感じながら、近づくその端正な顔に俺は再び目をゆっくりと閉じた。


 
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