アイリーン 第二章 -カイン-
21.労わり
イーグルに手を引かれ、『フィメーリア』という看板の下がった宿へと入った。
ポケットの中に入っているそのメモに書かれた名だと呑気に考えた。
なんというか…ずいぶんと質素な宿で、お世辞にも綺麗だとは言いにくい。
イーグルの…オセロットの本邸を知っているだけにこのお坊ちゃんには似合わない気がした。
だって、この無駄な綺麗さが浮いている。
この男だけ別空間にいるようだ。
「おや、恋人かい?」
気の良さそうな、いかにも女将という感じの女性が、奥の部屋から顔を出した。
「…部屋、しばらく誰も通さないでくれます?」
女将さんの言葉に曖昧に笑い、逆にそう問いかけている。
恋人…
確かにそんな約束をした覚えはない。
むしろ、先に拒んだのは俺のほうだった。
なのに…なのに、いつもは冗談見たく調子の良いイーグルが、言葉だけでも肯定しなかったことにすごく動揺している。
「はいはい。そんな野暮なヤツは2階にすら上げないよ」
ふふっと小気味よく笑うと、また奥へと引き返していった。
それに、ちょっとだけ気分が軽くなって、2階へと続く階段をのぼり、イーグルの後を追った。
「こっち」
上がって三つ並んだドアの、一番奥の角部屋に連れて行かれる。
ドアをあけて、優しく中に俺を促した。
エスコートぶりは相変わらず健在で、簡素なソファに座るまで、腰を抱いて案内された。
「じっとしてて」
耳元でそう囁くように、低く言う。
ぞくりとした。
熱くなった俺を他所に、すぐに離れて何かごそごそと棚を探る。
しばらくして、手には瓶と白い布を一つずつ、両手に持って戻ってきた。
「動いちゃだめだからね」
布にその瓶の中の液体を含ませ、それを俺の傷口にあてがう。
「いっ…た」
じゅんと沁みて、思わず顔を顰めた。
ぽんぽんとすらないように優しく繰り返すそれは、泣きそうなくらい痛かった。
「や…い、いたぁ」
触れられるたびに泣き言を零せば、だいたいの擦り傷を拭ったところで、イーグルが手を止めた。
「痣も…ひどい」
ふくらはぎと腹部にある一際大きな痣。
先ほどボディタッチされて、確認済みのはずだ。
「っ〜!?」
大丈夫だと言おうとして、俺は逆に身を竦めた。
ぬるりと、温かいものがふくらはぎの痣の上をなぞった。
びくり、と跳ねる体を鎮めることができない。
「い、イーグル…」
思わず漏れ出た声に、さらに羞恥心が増す。
そんな俺のことなどお構いなしに、熱い舌が痣の上を労わるように這い回る。
知らずソファに押し倒されていた俺は、耐えるようにそれに爪を立てた。
唇を優しく触れるように落とし、舌先でつうっとなぞり、また口付けをしては、優しくなぞる。
その繰り返しが、やけに官能的で、視覚的にも俺を刺激する。
「ん、や」
「動かないで」
時折耳元で甘く囁き、俺を動けなくしてはまた痣に唇が落ちてくる。
触れる部分から熱くなり、先ほどの痛みを忘れるくらい、じんと甘い痺れに惑わされる。
もうなんなのかわからない涙が頬を伝い、それまで指や唇で絡めとられた。
「こんなにひどい傷をつけて…」
怒るような低い声音に、熱い息が混じって、それすら肌を粟立たせる。
ぞくりぞくりと繰り返す感覚に、頭がおかしくなりそうだった。
「や、…っ、イーグルっ!」
耐え切れなくなって、縋るように首に手を伸ばすと、引き寄せて甘い口付けをくれた。
初めは啄ばむように繰り返し、徐々に深く、性急になる。
舌を吸われ、口蓋を嘗め尽くされ、翻弄されっぱなしだった。
段々と回した手にも力が入り、それに応えるように、きつく抱きしめ返してくれる。
くずおれる感覚に、シャツをつかんで必死に縋った。
雨のようなキスは続く。
唇に、耳に、額に。
恥ずかしさのあまり手で顔を覆うと、その手をとられ甲や手首にも同じように口付けが落とされた。
優しいそれに目端から涙が零れると、それさえもキスで掬い取る。
知らないうちに、手を取られ指を絡めて握られていた。
それに安堵を覚え、握り返す。
ふと、キスが止んだかと思えば
「っんぁ!」
顔を上げた俺の首筋に、イーグルがいきなり吸い付いた。
たまらず体をのけぞらせ、耐え切れず声を漏らした。
ちりっと僅かな痛みが走り、イーグルが小さく音を立てて首筋から唇を離した。
思わず息が洩れて、それがどうしようもなく恥ずかしく感じた。
「感じてる?」
「え、や…ぁっ」
耳元で意地悪く囁かれ、そのまま舌で耳をなぞるようにして這う。
耳朶を噛まれ、また声を上げて羞恥心が増した。
耐えきれずなんとか逸らそうとすると、今度は首筋からうなじにかけて柔らかく舌を這わす。
すると余計に変な感覚におそわれた。
「もう…目を、離さないから」
イーグルが熱く、息を僅かにはずませてそう呟いた。
うっすらと目を開けると、何故か苦しそうに歪ませた綺麗な顔が見えた。
俺はこの綺麗な顔が歪むと何だか切なくなる。
そんな顔、してほしくないのに…
最近はよくこういう顔を見るようになった。
「アイリーンが嫌だって言っても、もう離れないから」
ぎゅっと目を閉じてそのまま唇を落とし、触れるか触れないかくらいまで離す。
「嫌がっても、もう無理だから。…離れられない」
唇の振動が僅かに触れた先から伝わる。
目を開けて至近距離で見つめ合う。
綺麗なブルー。
俺はこの色がすごく好きだ。
「俺も、離れない。…すごく、すごく寂しかったから…。もう、あんなの嫌だ」
素直にそう零すと、一瞬目を見開いてすぐに嬉しそうに笑った。
うん。
やっぱり、笑った顔の方が好きだ。
ブルーが少し柔らかく見える。
「言ったよ?絶対に忘れないからな」
子どもみたいにそう言うと、笑顔のまままた一つ唇を落とす。
同じように啄み返して2人してまた笑う。
笑顔が消えないうちに、そうやって何度もキスをした。
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