アイリーン 第二章 -カイン-
Second Finale
相変わらず無表情なルードさんに出迎えられ、着替えるために通された部屋で、安堵に表情を崩したシシィを見て、無性に嬉しくなった。
“ああ、帰ってきたんだ”と。
自分の家じゃないのに。
俺がいるべき場所じゃないのに。
俺はこんなにも依存している。
「アイリーン」
ガチャリと背後の扉が開いて、甘く緩みきった声が聞こえた。
当主のくせに馬鹿みたいに嬉しそうに俺を呼ぶ。
それに呆れながらも、一緒に頬が緩む俺も、相当な馬鹿かもしれない。
「うん、似合う。食べちゃいたいくらい可愛い」
歯の浮くような台詞に、恥ずかしいながらも慣れてきてしまった俺は、かなり重症かもしれない。
「御髪がずいぶんと伸びられましたから、余計にドレスが似合いますわね」
シシィが自分の着せた出来に、満足したように頷く。
そう、今、俺はピラピラでフワフワなドレスを着ている。
普段着用のシンプルなワンピースタイプで、胸の下に切り換えしのあるフレアスカートになっている。
極めつけはその素材がシルクで、薄いピンク色だということか。
着慣れない俺は、ひどく自分に不釣り合いな気がしたが、2人がえらく褒めるので、たまにはこういうのも悪くないか、と思った。
「連れて歩きたいくらいですね」
「いや、俺はどちらかと言うと、閉じ込めておきたいよ」
2人で勝手なことを話し始めた。
イーグルに至っては、半分本気なようで怖い。
「なんで、こんな格好を」
俺がそう零すと、シシィが仁王立ちスタイルで、俺を見据えた。
怖いよ、姉さん。
「まだ貴婦人たるためのレッスンの途中でしたからね。服装だけでも、早く慣れて頂きませんと」
スカートなら以前も履いていたが、もっと質素な服だった。
こんなお嬢さまなドレスじゃなくてもいいんじゃないか?
「気に入りません?」
「いや、気に入らないというか…」
ごにょごにょと口篭もる。
気に入らないわけじゃない。
このドレスは確かにピラピラだが、そう華美でもなくて、上品で可愛らしい。
うん、“可愛らしい”のだ。
それを自分が着ているかと思うと、不相応な気がして、居た堪れない。
男の人が女装をするとき、こんな気持ちになるんじゃないだろうか。
いや、俺は一応、女なんだけど…。
「残念ですわ。折角、アイリーン様を想いながら作りましたのに」
そっか。
俺を想いながらわざわざ作ってくれた
「って、ええっ!?」
頭の中で納得しようとして、俺は思わず声を上げていた。
「シ、シシィが作ってくれたの!?これ、このドレスを?」
装飾は控え目なまでにしても、シルクでできたドレスは、胸部の切り返えに入ったギャザーの細かさがとても繊細で、袖口や裾には細かな刺繍もされている。
スカートがふんわりと裾広がりになっているのに、全体のラインは計算されたように美しい。
まじまじと鏡に写る自分…を無視してドレスを凝視した。
すごい。
職人技だ。
「ペチコートもお手製ですのよ」
「すごい!」
神だ!
職人の域を超えて神業だ!
ドレスからちらりと見えるペチコートの裾には、これまた繊細なレースが付いている。
ひらりと回転して、その素晴らしさを改めて体感した。
もう、着ているのが恥ずかしいなんて言ってられない。
だってこれ、世界にたった1つってことだろう?
「シシィ、ありがとう!一生大事にする!」
にっこりと嬉しそうにシシィが笑った。
「光栄です。そんなに喜んでいただけたら、作り甲斐がありましたわ。私も嬉しいです」
シシィはそう言うけれど、明らかに喜ぶべきは俺の方だろう。
なんか本当に、良くしてもらってばっかりだ。
「これからいろいろと頑張って頂かないといけませんもの。良かったですわ」
あ、そういうことね。
飴と鞭?
頑張ります。
* * * * * * * * * * * * *
「カイン」
俺が声をかけると、カインは読んでいた本から目を上げた。
こっちを見た瞬間………固まった。
開いた口が塞がらないというやつか。
カイン…結構間抜けな顔になってるよ?
「…やっぱり、似合わない?」
今までも十分、自分には似合わないと思っていたが、カインから見たらもっと不自然に映るんじゃないだろうか。
だって、ついこの間まで、カインにとって俺は『兄さん』だったのだ。
それが今では、とても乙女なドレスを着ている。
不自然だよな。
姉さんって呼べないのも当たり前だよ。
カインにとって、まだ俺は兄さんなわけで…。
「似合うよ」
驚いて顔を上げると、少し照れて笑うカインが見えた。
「とても…似合う」
余程恥ずかしかったのか、そう言ってカインの方から目を逸らした。
俺の方が恥ずかしい。
「ありがとう、カイン……」
ちょっと元気づけられた。
そうなんだ。
カインって照れ屋なんだよな。
誰かさんと違って、普段、こんな歯の浮く台詞なんて言わないし。
いや、俺は今まで兄だったわけなんだけど。
「カイン、俺のこと、気持ち悪くない?」
「なんで?」
俺なりに勇気を出して聞いたのに、すごく不思議そうに返された。
「だって、俺……今まで、カインの“兄”だったわけなんだよ?」
俺だって正直、未だに違和感を覚える。
女の子って言葉が自分にはしっくりこない。
「俺、ウィルのこと気持ち悪いなんて、一度も言ってないだろ。むしろ、今の方が似合うと思う。初めは…戸惑ったけど、でも」
そこでちらりとこちらを見た。
「ウィルが女だって知らなかったわけじゃないし」
「ええっ!?」
あ、でも待てよ。
驚いてはみたものの…。
そうか、再会したときすでに女装していたな。
いや、女装じゃないけど。
そこまで考えた俺に、先回りしてカインが続ける。
「俺、ウィルが兄貴だなんて思ったことないよ」
「え………?」
兄だとすら思われてなかったってこと?
俺はカインにすら、家族として認めてもらえていなかった。
その事実に、言葉を無くして固まる。
俺にとって家族と呼べるのは、カインぐらいしかもういないというのに。
「……兄だなんて思えない。俺にとって、初めて会ったときからウィルは女の子だったよ」
固まってしまった俺に、カインは真剣な目をしてそう言った。
…よくわからない。
女の子だなんて、なんでいきなり、そんな……。
「…どういう意味?」
思わず聞き返さずにはいられなかった俺に、カインは苦しそうに顔を歪めた。
「俺には…ウィルは大切な女の子なんだよ。兄でも姉でもない。たった一人の大事な女の子……」
カインがそう言って顔を上げた。
目が合った瞬間、俺の心臓が跳ねた。
熱い目。
俺はこの目と同じ熱を感じたことがある。
いくら鈍感な俺でもわかる、恋い慕う視線。
でもその瞳は、今までは青かった。
空みたいな、透き通ったブルー。
なのに今は……温かみのある褐色。
グレイ家の特徴でもある青灰色とも違う。
母親譲りなんだって聞いたことがある。
「今すぐとは言わないから…。俺のこともちゃんと見て」
そこでカインが先に逸らし、視線がはずれて、ようやく動けるようになった。
カインの後ろ姿に、記憶にない母を見た気がした。
俺にとって、カインは家族で、大事な弟で……。
カインと入れ違いに部屋に入ってきた人物を見て、俺の頭は余計に混乱した。
「アイリーン?」
俺の好きな人は…?
だって俺、イーグルの恋人なわけでもない。
そんな約束、交わしてない。
恋人の定義って何?
「どうした?カインとの話は済んだのか?」
改めて考えて、愕然とした。
そんな簡単なこと、考えてもいなかった。
「アイリーン?」
「……なんでもない」
俺を心配する青い瞳を見ても、それ以上言うことはできなかった。
だって、俺……
イーグルに何も言ってない。
会いたかったのは事実。
なのに、はっきりしない俺の気持ち。
カインと違うって何が言える?
イーグルは俺のことを恋人だって言わなかったじゃないか。
だからつまり、そうじゃない、とも言えるんじゃない…?
それから、俺の頭の中は混乱したまま、時間だけが過ぎていった。
俺はそのとき自分が一番大事で、2人の気持ちを思い遣る余裕がなかった。
俺たちの微妙な関係は、簡単に脆く崩れ去るものだということを、俺はまだ理解していなかった。
第2部 -カイン- 完
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