アイリーン 第三章 -エミリア-

Opening

 

彼は妻を深く愛していた。

妻は、2番目に迎えた女性で、言わば後妻。
だが、前妻に勝るほど、彼は妻に執着を持っていた。

妻はこの地域では珍しい、美しい黒髪を持ち、目鼻立ちも際立って整った女だった。
誰もが羨む結婚に、彼は軽い優越と充足感を覚えていた。

だから、疑いもしなかったのだ。
彼の妻が、その結婚を望んでいなかったとは。


彼がそれに気付いたのは、妻が屋敷を出て行く直前だった。
彼女が屋敷を出ようとしたとき、側には別の男がいた。

彼はもちろんそれには衝撃を受けたが、ひどかったのはその後だった。

逃げるようにして妻が去った後に、残された一人の娘。
その娘は自分と妻の唯一の繋がりだった。

妻が去った悲嘆に暮れた彼に、追い討ちをかけるように更なる衝撃が走る。


腕に大事に抱えた娘、アイリーンに妻の面影を探した彼は、息を呑んだ。

無邪気に笑う赤子、その瞳は、妻のような濃いブラウンではなく、自分と同じグレーでもなく―……


妻の側に立っていた男、憎きその男と同じ、吸い込まれそうな漆黒の色だった。


 

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