アイリーン 第三章 -エミリア-

1.世間知らず

 
雑踏の中を歩いていると、いらないことを考えなくて済むからいい。

特に買い物って楽しい。
俺の場合は、特に。

「クワイの実ってこれ?あ、おじさん。これ、これください」
「…違う。クワイの実はこれ。それはサハラナ。しかもそれ、食べられないから」
「えっ、なんで食べられないものなんかおいてるのさ」
「それはディスプレイだからね、お嬢ちゃん」

店のおじさんが冗談を軽く受け流すように答えた。
ちょっと決まり悪くなって、握り締めていたサハラナをゆっくりと元の位置に戻す。
確かに何かおかしいと思ったんだ。
だってこれ、色がすごく毒々しいし。

「何の根拠があってクワイの実だと思ったんだか……」

おじさんに本物のクワイの実を袋に詰めてもらいながら、カインが呆れたように言った。
我が弟ながら、失礼なやつだ。

「何ってそんなの、インスピレーションに決まってるじゃないか」
「十中八九はずれだけどな」
「でも一回当たったじゃないか!」
「34回中1回な。しかも選択肢が2つだったから、確率的には2分の1だろ。…いや、それ以下か」

俺のインスピレーションは全否定された。
まぁ、本当にさっきからおもしろいほど当たらないから、仕方ないと言えばそうなのだけど。
諦めて、次の買い物に意識を切り替えるしかないと判断する。
この頭の回転の速い弟に口で勝てるはずがない。

「あとは…」

手にしたメモを見ながら、果物屋を後にした。
クワイの実を含め、お買い上げした34の品は、殆どカインが持っている。
俺は比較的軽い荷物しか持っていない。

「ナスタの店で黒蜜の小瓶を一つ」

35品目を読み上げる。
ナスタなら知ってる。
シシィの友人で、気立てのいい蜂蜜屋の看板娘だ。

「ナスタの店なら向こうだよ」

得意になって、俺はカインを引っ張った。
急に静かになって、カインは俺の後をついてくる。
不思議に思って振り返ると…。
なぜか笑顔。
あまり笑う顔を見せないカインが、なぜここで笑うのかがわからない。
しかも“楽しそう”じゃなくて、“嬉しそう”だ。
…珍しいもん見たな。

「なんで笑ってるの」

素直にそう口にしても、笑うだけで答えてくれない。
…何なんだ、本当に。
最近こうやってカインはたまに謎なりアクションをする。
不思議に思って尋ねても、笑って誤魔化されるだけだ。
さすがにもう慣れてきた。
問い返すことをやめてずんずんと歩いて行くと、すぐにその蜂蜜屋が通りの先に見えた。

「あっ」

蜂蜜屋の前まで来ると、見覚えのある顔があった。

「あら、アイリーン様」

この店の看板娘、ナスタは、赤茶けた髪にそばかす、溌剌とした面立ちの少女だ。
俺とナスタが知り合いなのはもちろん、俺が以前にもこの店に来たことがあるからで、店を知っていたのにもそういう訳がある。

「久しぶりだね、ナスタ」
「本当に。もう来てくださらないのかと思っていました」

以前来たのは、実家に戻る前だったので、彼女の言うように、本当に久しぶりだ。

「今日はイーグル様はご一緒じゃないのですね」

連れて来てくれたのはイーグルで、この辺り一帯の主である彼と来た俺も、当然のように敬い扱われた。
…俺も元はナスタと変わらない身分なのに。

「あら、そちらの方は?」

ナスタが俺の後ろに目をやる。
後ろにはカインが引っ張って来たままの形で、立っていた。
弟だと説明すると、ナスタは更に不思議そうな顔をした。

「大変仲が良いように見えたので、恋人かと思いましたわ」
「ち、違うよ」

素っ頓狂な声を上げながら、俺は慌てて否定した。
今、この話題は痛い。
チラリと振り向く勇気もなくて、嫌な汗をかきながらただ首を横に振るしかなかった。
なのに、そんな事情を知らない彼女は、俺に追い討ちをかける。

「そうですよね。アイリーン様にはイーグル様がいらっしゃいますものね」

真っ白になった。
後ろの気配が怖くて、答えない俺に怪訝な顔をしたナスタにも反応できない。
このタイミングは痛い。
痛すぎる。

「ウィル、俺、向こう見てるから」

ふと緩んだ気配に、脱力しそうになる。
もうこの際、俺の呼ばれた名前にナスタが不思議そうな顔をしたのもどうでもいい。
急いで買い物を済ませて、カインを追いかけなきゃ。
せっかく……買い物が楽しくなっていたとこだったのに。

タイミングの悪さを心の中で悔やみながら、ナスタへの侘びもそこそこに慌てて店を出た。



  
 
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