アイリーン 第三章 -エミリア-

3.分からない

 
カインは俺をただ黙って抱き締めてくれた。
泣き止んだ俺を解放してからも、カインは何にも喋らなかった。
でもその沈黙が嫌じゃなかった。
話さなくても伝わるなんて陳腐な台詞かもしれないが、俺にとってははまさにそうだった。
わざとどちらも喋らない。
しばらくして漸くカインが口を開いた。

「黒蜜、買った?」

急にそうやってまた買い物に意識を戻そうとするのもわざとだろう。
俺は黙って首を振った。

「じゃあ買いに行こう。それで終わりだろ?」
「うん」
「買ってさっさと戻ろう」

暗いな、と言ってカインが辺りを見回した。
街の街灯が点々と灯り、辺りの家から光が漏れている。
その光はとても温かい光で、幸せな家族のある暮らしを容易く想像させた。
それで不意に寂しさが俺を襲う。

「ウィル?」

たまらなくなって、カインの腕に抱き付いた。
当然、カインは俺を見て怪訝そうな声を上げる。
でもそれでも振り解くことなく、優しく頭を撫でてくれた。
単純な俺はそれで少し寂しさが和らぎ、カインの腕をそっと離した。
カインはそれを見て苦笑し、俺の手を握るとそのまま歩き出した。

「早く行こう」

そう強い力ではないが、俺は引っ張られるようにして歩いた。
そこで間近に見上げるようにして、初めて気付いたことがあった。

「あれ?カイン、背が伸びた?」

俺はそう小さいわけではないが、男所帯の中では一番小さかった。
それでも、カインとはそう変わらないくらいだったはずだ。
すると、カインに大きなため息を吐かれた。

「…今更言うんだ?気付くの遅いよ」

ちらっと振り返るけれど、歩く速度を緩める素振りはない。
その背中も以前より大きくなったように感じる。
繋がれている手に視線を落とす。
俺とカインではずいぶんと大きさが違う。
硬い、大きな手。
自分の手が小さく見える。

「俺、女なんだって」

カインは訝しげに振り向いた。
歩調が緩まって、目線が並ぶ。

「こうやって体格とか…違いを目の当たりにして初めて思うんだ。“俺、女なんだ”って」

榛色の瞳が俺を見返す。
その中に写る不安定な自分が見えて、視線を逸らして俯く。

「でも…まだ、頭が追いつかないんだ。だって俺、“女”として育ってないから。ずっと自分が男だって思ってたから」

カインもイーグルも好きだ。
でもその“好き”って何?
二人が言う好きは、俺を“女性として好きだ”っていうことだろう。
じゃあ、俺は?
2人を“男の人として”好き?
俺はもう一度顔を上げてカインを見た。

「俺は俺だろ?カインは…俺が男だったら好きじゃなかった?」
「ウィル、それは…」

カインが言葉を詰まらせる。
苦しそうな顔をして、俺の手を離した。

「それは、違う」

違う、ともう一度繰り返して、カインはゆっくりと目を閉じて首を振った。
それは拒絶のようでもあって、俺はそれ以上問い詰めることはできなかった。
違うというカインの言葉。
その苦しそうな表情。
そうして最後に顔を上げたときに見えた、カインの瞳に宿る色に、俺は静かに息を飲む。

「…俺が好きなのは…確かに、ウィル自身だよ…」

苦しげにそう呟く。
俺はまだ何も言えない。
俺にはまだわからない。
カインの苦しそうな表情の意味も。
違うと繰り返すその言葉の意味も。

帰り道はそれ以上、二人とも何も話さなかった。



 
 
Copyright (c) 2008 Tasuku Yuki All rights reserved.
  inserted by FC2 system