アイリーン 第三章 -エミリア-

7.成り

 
結局、30分を少し過ぎてしまった。
カインは本気で探しにはこなかったが、かなり心配して待っていたようだった。
オセロット家に戻ると、入ってすぐのホールにカインがいた。

「ウィル、約束の時間を過ぎて…」

ホールに据えられた長椅子からガタンと音をたてて立ち上がる。
また細かいことを言い出そうとしたようだが、俺を見て言葉が途切れた。
間抜けな顔をしているぞ、弟よ。

「な、ウィル、それ…」
「それ?」
「髪…」

すっとぼけてはみたものの、カインが何を言わんとしているのかはすぐわかった。
だから素直に説明することにした。

「髪、切ってきたんだ」
「なんで…」

そう、バッサリと伸びてきていた髪を切ってきたのだ。
最近では肩を過ぎていた髪を、元のショートヘアまで戻したのだ。

「似合わない?」
「いや、そんなことは…」

それはそうだろう。
ジェッツさんも初めは渋っていた割りに、最後は満足な出来上がりだったようだから。
ジェッツさんはこの街で有名な美容師さんで、“オカマのカリスマ”として名を馳せていた。
たまたま街を歩いていて見つけた可愛いアクセサリーの店で、でっかい男の人がきゃあきゃあ騒いでいるのを見たときはぎょっとしたけど、なんでだか意気投合して、それ以来顔を合わせると話すようになっていた。
そして、もし髪型を変えるならいつでもおいでと言われていたのだ。
それに、「どんな髪型でも叶えてあげる」とも。

「なんで切ったんだ…」
「気分転換?ほら、心機一転って言うじゃないか」

そんな残念そうにされると、ちょっと後悔の念が出る。
俺だって、本当は伸ばそうかとも考えていたから。
でも、新しい生活を始めるわけだから、気持ちを改めたかったんだ。
まずは形から、じゃないけど、髪を切ったら気持ちの整理ができる気がしたんだ。

「アイリーン様!?」

カインが仕方なく、といった様子で黙り込んだところに、高い声が飛んできた。
ホールに現れたのはシシィで、叫んだのはもちろん…髪型のことのようだ。

「どうして…!?」

カインよりもショック、といった感じだ。
…それは仕方ないのかもしれない。

「せっかく、…せっかく、綺麗な髪でしたのに……」

彼女が1番俺の髪が伸びたことを喜んでいてくれたから。
髪を結ってくれたり、女らしく飾ってくれていたから。
女らしくなろうという俺の努力を目一杯手伝ってくれていたのに、それを裏切ったようなものだ。

「ごめん…」

謝ることしかできなくて、心が痛む。
そんな俺にシシィは首を振った。
彼女はやはりショックを隠せないようだったけど、何とか気を取り直したようで、最後には苦笑いを零した。

「アイリーン様も思うところがあって決められたんでしょうし、私は何も言いませんわ」

そう笑って、でも、と付け足した。

「でも、一つだけお願いがあります」
「なに?」
「今度髪を伸ばされたときは、また私に結わして下さいね」

思わず泣きそうになった。
本当に、シシィは優しすぎる。
にっこり笑ったシシィに、俺はしっかりと頷き返した。

「アイリーン……」

一つクリアしたと思ったら、すぐに次がくる。一難去ってまた一難。
ホールに顔を出して驚いた声を上げたのは、この屋敷の主、イーグルだ。
ここが一番の難関だな、と気負ったけれど、イーグルは一向に俺に尋ねようとしない。
しばしの沈黙の後、漸くイーグルが口を開く。

「会ったときみたいだ」

にこりと笑ったイーグルに、今度は俺が呆然となる。
こんな反応、全く予想していなかった。

「似合ってる」

どうしてだろう、この人は本当に……

「アイリーンはどんな髪型でも似合うな」

はずさない。
他人が聞いたら寒気がするような台詞も吐くし、異常なほど甘い言葉をくれる。
でも、幼い頃からそういう言葉や気持ちに飢えていた俺には、ダイレクトに染み込んでくる。
素直に“嬉しい”って思えるんだ。
単純なのかもしれない。
でも、それでもいい。

「ありがとう…」

俺はここを出ようとしている。
こんな言葉を聞けるときはもうないのかもしれない。
あの甘い言葉を、優しい笑顔を、俺の好きだったブルーの瞳を、見れなくなるのはそう遠くない。
それが寂しい。



 
 
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