アイリーン 第三章 -エミリア-

10.順風満帆

 
レモニラというのは煮込んだ鳥肉を、香草で巻いた料理のことだった。
それを表面に薄く焼き目の付いたパンでサンドする。
ちょっとした苦味のある香草によって旨味の引き立った鶏肉は柔らかくジューシーで、表面がサクサクで中はもっちりのパンと絶妙にマッチする。
さすが見ず知らずのおじさんが教えてくれただけある。
お礼を言うと、おじさんは嬉しそうに、且つ豪快に笑った。
レモニラのサンドは俺の持ち金の半分ほどの値段だった。
あまり持ち合わせがなくて心配していたが、余裕で足りてしまった。
お金を払おうとすると、先ほどのおじさんに話し掛けられた。
俺が礼を言ったのに気を良くしたらしい。
奢ってあげると言い出したのだ。
さすがに断ったのだが、また豪快な笑いでそれは流された。

「お前さん、新顔だろ?この街へ来た歓迎の挨拶みたいなもんさ」
「そうだよ。ここは甘えときなさい」

お店のおばさんまでおじさんに肩入れする。

「ニナ、安くしといてくれよ!」
「まったく、しようがないねぇ。良い恰好ばっかりしたがるんだから」

周りでどっと笑い声が上がる。
和やかな雰囲気と言うよりは、騒がしい。
でも、嫌な騒がしさじゃなくて、活気のある楽しさを含んだものだ。
こういう場もよく考えれば経験したことがないが、俺は庶民気質なので、親しみはすごく沸いた。

「あんたはこの街にいつ来たんだい?」

店のおばさんが俺に話し掛けてきた。
話しているうちにお昼のピークを過ぎたらしい。
周りのお客さんはほとんど出てしまって、俺を合わせて3組ほどしかいなくなっていた。

「昨日の夜に着いたばかりです」
「ああ、じゃあ今日が初めてみたいなもんじゃないか。それで、この街に住むのかい?」
「はい。弟と一緒に」
「おやまあ!こんな若いのに養っていかなきゃならないのかい」

俺が頷くと、本当に驚いた顔をしていた。
養うって言っても、奨学金もあるから逆に養われる側になるかもしれないんだけどな。
でも、困っていることに変わりはない。

「働き口とかはどうするんだい」
「これから探していこうと思っています。でもまずここを良く知らないので…。どこかいいところ知らないですか?」

俺の場合、地理や土地勘がないということよりまず、世間知らずが来るのだが、そこまで説明すると就職先はない気がした。
とりあえず、それほど知識がいらないところ。
体力仕事も非力だから限界があるかもしれないが、その辺りは努力と根性でまかなうつもりだ。

「いいところねぇ。アンタはどこか品が良いから、この辺りじゃなくてサンダ通りとかで探した方が良いんじゃないか?」
「サンダ?」

聞くところによると、サンダ通りは別名学者通りと言われているらしい。
アカデミーのお膝元なだけあって学者や学生が多いこの街の中でも、偉い先生たちが好んで訪れる一帯だそうだ。

「ニナ、ここも人手が足りないんじゃない?」
「そうだ。確かメイスが出産でしばらく休むとかいってなかったっけ」

初めにレモニラサンドを進めてくれたおじさんとおばさんが口を挟んだ。

「うちかい?そうだねぇ、うちの客は柄は悪いけど良い連中ばかりだし、心配はないと思うけど」
「ああ、ここなら大丈夫さ」

そこでニナと呼ばれた店のおばさんが俺を見た。

「どうだい?昼間なら外も危なくないし、うちはそんなに高い給料は出せやしないけど、賄い付きにしとくよ。まぁサンダ通りで働きたいならその方がいいかもしれないけどね」
「えっ、本当に?いいんですか?」

おじさんとおばさんも周りでそうしろと何度も言ってくれる。
正直、有り難い。
一も二もなく飛び付きたい話だ。

「ぜひ、働かせてください」
「決まりだな!ボウズ、がんばれよ」
「やれやれ、アンタたちが決めるんじゃないよ」

サンダ通りも見ておいた方がいいと言われたけれど、俺は遠慮した。
学者が集うところなんて、確実に知識の豊富さが要求されそうだ。
間違いなく俺には向かない。

「うちは危ないところではないけれど、騒がしい店だよ。荒っぽい連中も多いから、胸を張っておすすめもできないしね」

それでもいいかい?と言われた。
どうやら俺はよほど育ちが良く見えるらしい。
言われて初めてわかったのだが、俺の服装も関係があったみたいだ。
オセロット家で揃えてもらったこの服は、簡素だけど良い素材が使われていた。
俺が気が付かなかっただけのようだが、明らかに良い服を着ているのが他人にはわかるらしい。

後で教えてもらったことだが、このピセの街の中でも、屋台や出店が建ち並ぶ“市場”には比較的労働者層が多く集う。
…いわゆる、貧困層だ。
と言っても、この街自体が比較的裕福で、“貧困”と言うよりは、“低所得”と言うのが正しそうだ。
貧しさで言えば俺の実家の方がひどかったかもしれない。

「その格好じゃ汚れちまうかもしれないからね、服を貸すから着替えておいで」

とりあえず今日からでもと頼むと、快く迎え入れてくれた。
親切な店のおかみさん、「ニナ」さんが俺に服を手渡してくれる。
俺が着ていたよりもっと質素な服。
確かに、俺が着ていたのはいいものだったと思わせるようなものだった。
手渡されたそれに袖を通す。
俺の体よりは少し大きいけど、体系をカバーするにはちょうどいいと思えた。
…実は、店の人たちにまだ俺が女だってことを伝えてない。
俺のことを男の子だと思っているようだし、俺自体はそう思われていてもかまわないと思っている。
逆に女だから働かせられないと言われたら困る。
この辺りは治安もそんなに良くないからと心配してくれたほどだから、女だと告げると余計に危ないと思われるだろう。
騙すことになるのかもしれないが、せめて、ばれるまでは…。
こんな先の見えない生活の中では、あまり贅沢は言ってられない。
とりあえず働けるところがほしいのだ。
正直、こんなにすぐに働き口が見つかったのはラッキーだと思う。
だからこそ、手放すわけにもいかない。

「ああ、やっぱり少し大きいみたいだねぇ」
「いえ、助かりました。ありがとうございます」

下にタオルを巻いて、胸の膨らみをごまかしてはいるが、実際はかなり際どい。
潰すようにきつめに巻いているので、ちょっと苦しい気もする。
ああ、こんなことをしていたら、シシィに怒られそうだなぁ。
下着を着けていなかったこともかなり怒られたからなぁ。

「今はそれしかないからね、そのうち考えようか」

いらないとは言えないので、とりあえず頷いておく。
その時が着たらその時だ。
なんとかなるだろう。

「とりあえず、メニューを覚えることからだねぇ。うちはころころメニューを変えるけど、定番なんかは覚えておいて貰わないと」

ニナさんに紙を渡される。
メニュー表みたいなものはないらしく、定番料理がいくつかと、日替わりでいくつかのメニューが紙に書いて貼り出されるらしい。
定番料理は常連の多いこの店じゃ、書く必要もないらしい。

「定番料理は10個ぐらいだから、がんばって覚えな」

ハイ、と元気に返事をして、俺は紙に目を通しはじめた。



 
 
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