アイリーン 第三章 -エミリア-

11.彼の助言

 
店主のセオさんは、ニナさんより細身のおじさんで、快活なニナさんとは反対に意外と寡黙な人だった。
セオさんは厨房から出て来ることはなく、中で料理を作りながら、カウンターに座る常連客と稀に話をしていた。

「セオは無口で無愛想だけど、人見知りするだけで怖くはないからね」

ニナさんは片目をお茶目に瞑りながら言った。
その通り、セオさんは無口だけど、俺が何か尋ねると、懇切丁寧に教えてくれる。
わからなくて何度も聞き返してしまう俺に呆れずに、何度も根気よく繰り返し説明してくれる。
セオさんもニナさんもとてもいい人で、ここで働けるようになって本当に良かったと思う。
こんな良い人たちじゃなかったら、俺は見放されていたと思う。



「飲み込みは悪くないんだけどねぇ」

ニナさんがついにそう零したのは、働き始めて3日目だった。
お昼のピークを過ぎて、人も引いた時間で、一度店を閉めようとしていた時だった。
この店では、夜の仕込みのために3時から5時までが中休みになっていた。
俺は開店から昼の片付けまでが仕事だ。
夜が暇になるので、閉店まででも構わないのだけど…
役立たずなままでは言い出せそうになかった。

「すみません…」
「謝らなくてもいいんだよ。まぁ、ちょっと困ったものだけどねぇ」

俺はあまりにも物を知らなさすぎた。
当たり前の知識がない。
この地域はおろか、地元の地理でさえ分からない。
2人は俺が良いトコ育ちの坊ちゃんだからと勘違いしたようだが、本当のことは言えなかった。
実の父親によって監禁状態だったからなんて…、重すぎて話せない。
訳あって狭い世界の中で生きてきたからだと説明すると、優しい2人はそれ以上聞き出そうとはしなかった。
ただ、客が来る度に、質問されては閉口しているようじゃ、確かに使いものにならない。

「飲み込みは早いから、そのうち慣れるんだろうけどねぇ」

その“そのうち”が厄介なのだ。
…2人はそんなことは言わないけれど。

「母さんがホールに出て、ウィルが父さんを手伝えばいいじゃない」

2人の娘、メイスが口を挟む。
メイスは末っ子で、上の兄弟はみんなもう所帯を持って別の場所で暮らしているらしい。
ちなみに、5人兄弟。
メイスも結婚しているが、近くに住んでいるので手伝いに来ている。
今回メイスが出産によって休まざるをえないので、俺が代わりに雇われた。

「あたしの代わりかい?まぁ外よりは覚えることは少ないかもねぇ。ところでウィル、料理の経験は?」
「全く……」

だろうねぇ、とニナさんがため息をついた。
ああ、迷惑をかけているのが自分でも痛いくらいにわかる。

「俺が教える」

皆がため息をつきかけたときだった。
セオさんが急に口にした言葉に、みんなの視線が集まる。
セオさんは俺たちが話し合いをしている中、黙々と賄いを作っていた。
その彼が口を開いて、急に俺の教育を申し出たのだ。

「作りながら覚えた方が材料や料理の名前もわかりやすいだろう。そんなに難しいことを初めから頼むわけじゃない。材料や食器を洗うことからすればいい」

普段無口な彼が話し続けるのを、みんな黙って聞いていた。
俺と目が合うと、「な?」と確認するように問われた。
思わずコクコクと何度も頷く。

「まぁ、あんたがそう言うなら…」
「あたしもその方がいいと思うわ!」

頑張れとみんなが俺を見て頷く。

「う、うん。がんばる」

こうして、何に対しても初心者な俺がこの店で料理の勉強をすることになった。



 
 
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