アイリーン 第三章 -エミリア-

14.噂

カインに話すと想像通り、最初は反対された。
でも、やはり最後は渋々といった感じで許してくれた。
もちろん条件はカインのお迎え付き、それに店でとる食事と言うのが日課となった。

それからは、ただ働くこと、料理を覚えることに没頭した。
朝も、昼も、夜も。
店の人たちと、お客さん、それにカイン。
みんなと話していると笑っていられた。
でもふと手が休まると…、例えばお客さんが引いた夕方近く。
例えば店も閉まってカインを待っている間。ふと、…ぼんやりとしているうちに、楽しかったあの頃を思い出してしまう。

何度言っても、勝手に部屋に入ってくること。
俺が本に集中しているのに、構いたくてしようがないというようになんとか俺の気を本から逸らそうとすること。
一緒に出かけて、街じゅうの娘さんの視線が痛かったこと。
遠慮する俺に無理やり色んなものを買い与えること。俺が笑うと…、ひどく嬉しそうな顔をすること。
ぼんやりしていたことに気がついてはっとすると、その幻影はたちまちに消えていく。
後に残るのは、締め付けるような胸の痛み、寂しさ。
毎日毎日、思い出さない日は無かった。
思い出さないように気をつければつけるほど、逆に思いだけが膨らんでいくような気がした。
毎日そばにいたから、こんなに恋しくなるなんて思わなかった。

俺は、イーグルが好きなのだろうか。
カインやニナさん、セオさんたちだって好きだ。
でも、イーグルに感じる気持ちとは似て異なる気がする。
これは…どういう感情?
考えてはいけないのに、考えてしまう。

こんなにもイーグルに会いたいのはなぜだろう。
なぜ、今すぐ抱きしめてほしい、なんて…思うのだろう。


「今日リンネの店に行ったらね、すっごい美系の男の人を見たのよ。もう、その場にいた女の子たちは釘づけ。何事かをリンネに訊ねてすぐに出て行っちゃったけど、その後もその話題でずーっと持ちきりだったわ」
メイスが出産も間近だと言うのに、転がるようにして店に飛び込んできたのは、ちょうど働き始めて3か月経ったころだった。
もう、ホントにすごいのよ!と興奮冷めやらぬまま語るメイス。
ちなみにリンネの店はこの辺りで有名なおしゃれな喫茶店だ。
「そのリンネに訊ねていたことっていうのはなんだったんだい?」
ニナさんが言った。女の子たちが群がってリンネに詰め寄ったことが想像できる。
「それがね、本人もよく分からないって言うの。“黒い短い髪の女の子を知らないか”って聞くから何人か名前や特徴を言ってみたけど、“どれも違う”って言うんだって」
どきん、と心臓が跳ねた。
「大体、そんなに短い髪の女の子っていないわよねぇ。その人が言ったのは男の子くらいに髪の短いって話だったし」
この町で一番短い髪のクレアだって肩を過ぎるくらいだしねぇ、とメイスは思案に暮れる。
「ねぇ、メイス…」
「なぁに、ウィル。あ、ウィルも系統は違うけど美系だと思うわよ」
そうじゃなくて、と焦る気持ちをなるべく抑え、平静を装う。
「その人、どんな人だった?」
「え?男の人よ?」
「うん、教えてくれない?」
「知ってる人なの?」
「…ううん、たぶん知らないけれど興味があるだけ」
一瞬迷ったが、俺が女だと打ち明けていない以上、言わない方が良いと思った。
俺はまだ、この店の人たちにでさえ素性を隠している。
「ねぇ、教えて」
「別にいいけど、変な道に走っちゃいやよ」
茶化すようにそう言って、ええっと、と思いだすように特徴を述べ始める。
「少し長めの金髪に、痺れるくらい綺麗な青い目だったわ。もう、見つめられたら絶対蕩けちゃうこと間違いなしよ。…それに、身長が高くてものすごく良い体躯の持ち主なの。服であまりわからなかったけど、あれは絶対脱いでもすごいタイプよ。男の人なのに、フェロモンが溢れ出てたわ」
外さない答えに、俺の心音はますます高まる。
「お付きの人かしらね、傍に赤毛のこれまた奇麗な男の人を連れていたわ」
間違いない、イーグルだ。
俺は、動揺を隠すように低く、「そう」とだけ呟いた。
「…ウィル?何、やっぱり知り合いなんじゃないの?」
「そんなこと、ないよ。俺の勘違いだった。ちょっと似ている人を知ってたからびっくりしただけ」
引き攣る頬に無理やり笑みを作る。
どうしよう。なぜ、また俺の目の前に現れるの?

その日は、いつイーグルが現れるのかとびくびくしながら仕事を終えた。
カインが現れて、ようやく胸をほっと撫で下ろす。
「ウィル?」
そんなに俺はわかりやすいのだろうか。
カインは俺の顔を見るなり心配そうにのぞき込んできた。
「どうかした?」
「どうって、その顔…」
「ああ、そう言えばちょっと今日は体がだるいかも。働きすぎかなぁ」
調子よく体のせいにして見ると、それで納得したのか、カインは「早く帰ろう」と言ってそれ以上は追及してこなかった。
自分がだんだんとずるがしこくなっていっている気がする。
でも、これは気付かれちゃいけない。
だって俺はカインを選んだのだから。
今更、イーグルに合わせる顔がないよ。
自分から離れておいて、会いたいだなんて…都合がよすぎる。
会いたいけれど、会っちゃだめなんだ。
「ウィル?」
帰り道、途中で立ち止まった俺をカインが怪訝そうに見る。
「…帰ろう」
動揺を悟られちゃだめだ。
会いたいだなんて思ってることを知られたら…、カインを選んだはずなのに、俺は本当に最低になってしまう。

家路を急ぎながら思うことは、「会いたい」、ただそれだけだった。
 
 
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