アイリーン 第三章 -エミリア-

15.確保

「ねぇ、最近ウィルの顔を見てないって言っているお客さん、いっぱいいるのよ」
最初に俺の異変に気付いたのは、やはりと言うかメイスだった。
俺は最近ずっと厨房に引っ込んで、ひたすら料理を作ることに専念していた。
もし、“彼”が現れても会わないで済むように。
「でもメイス、見て、料理の腕も少しは上がったと思わない?」
はりきって料理を出してみる俺に向かって、メイスは大きくため息をついた。
当てつけがましいその動作から、どうやら俺が話を逸らしたことはばればれのようだ。

きっと、もし「短い黒髪の女の子」を探しに来ても、ここにはメイス以外女の子はいない。
それでも会えばすぐに俺だとわかってしまうだろうから、要は顔を出さなければいいのだ。
…たぶん、イーグルはこんな下町の中の庶民の食堂を利用することはない。
きっと…大丈夫。
そう、高を括っていた。

「あら、なんだか表が騒がしいわね。ちょっと、ベイ!何事?」
メイスが厨房から顔だけを出して、すぐ傍にいたのだろう常連客に問いかける。
確かに何事かを騒ぐ…、たくさんの人の声、それも女の子の。
それに混じってベイが返す声が聞こえる。
表からの騒ぎ声で俺にまではその内容が聞こえてこない。
なんだ………?
まさかと思いつつ、慎重に顔を出さないように表へと近づく。
厨房の入り口まで来て、ようやく二人の会話が聞こえた。
「え…、じゃあ、まだ見つかってなかったんだ」
「なんだ、メイス。知り合いか?」
「ううん、この間たまたま同じような場面に遭遇しただけ。それにしても…、すごいわねぇ」
「だなぁ。ここはいつも賑やかだが、これじゃあうるさくてかなわないよ」
入口に近付いて分かったが、女の子たちの騒ぎようが確かにひどい。
普段は野太い男たちの声が飛び交う店なのに、今は全く別の場所にいるみたいだ。
ハイトーンの女の子たちの声が、あちらこちらから悲鳴混じりに上がってくる。
「「あ…」」
二人が小さく声を上げたのがわかって、俺は不思議に思ってもう少し入口に体を近づけた。
二人は急に黙り込んで、じっとして動く気配もない。
顔を出す寸前で、すぐ傍に待ち望んだ甘い声が響いた。

「ねぇ、ちょっといいかな」
「え…、わ、私……?」
「え、俺?」
オロオロとする二人の声が聞こえる。
普段なら吹き出しそうなくらい裏返った声なのに、俺は笑うどころじゃなかった。
「うん、君。ね、君はこの店の人なんだって?」
「あ、そう、そうよ」
どうして…、低くて男らしい声なのに、こんなにも甘く響くのだろう。
「ここに、黒髪の奇麗な子が働いているって聞いたのだけど」
どくんっと心臓が跳ねる。
どんどんと全力で心臓がノックされているようだ。
「あ、ああ、でも“彼”は“男の子”よ?」
動揺しながらも当り前のようにそう言ったメイスの言葉に、言い知れない不安と焦り、それに僅かな罪悪感を覚える。
どうか二人とも、これ以上何も話さないで。
「ああ…、そう、“彼”は“男の子”なのか…」
明らかにメイスとは違ってわざととしか思えないほど男だと言うことを強調する。
嫌な汗が流れる。
どうしよう、どうしよう。
今すぐここから離れなければいけないと思うのに、足がうまく動かない。
頭が正常に働かず、石のようにただ黙って二人の会話を聞いていた。
「ごめんなさい、お役に立てなくって」
「いいや。いきなり尋ねたりして悪かったね」
とんでもない、と慌てたようにメイスが言う。
「…もし何かわかったら、教えてくれないかな」
「え?」
メイスのキョトンとした声。
「街の宿屋、『ミースクラッド』にいるから」
連絡して、と言って声とともに気配が遠のく。
踏み込まれるかと思った俺は、思わずホッと細く息を漏らした。
「あ、そうだ」
「…なぁに」
「その子、なんて名前?」
ぎくり、と今度は体が強張った。
どうか、どうか言わないで。
「悪いけれど…、個人情報だから、あたしからは教えられない。…また、その子に聞いて?」
俺の祈りが通じたのか、途切れ途切れにメイスが断わりの言葉を告げた。
もう一度小さく息を吐く。
「じゃあ、また今度その子に会えるの楽しみにしてる」
ま、また来るの?
「……ええ…」
「騒がせて悪かった。…その子によろしく言っといて」
「…わかったわ」
俺の心を乱したまま、今度は本当に気配が遠ざかっていく。

3度目の吐息が漏れた。
 
 
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