夜も9時を回り、営業時間もほぼ終わりを迎えた。
この店は10時までで、俺はラストオーダーになる9時半までが割り当てられた時間になっていた。
夜の仕込みはまだその後にあるのだけれど、これ以上働かせるわけにはいかないとセオさんもニナさんも譲ってくれなかった。
「さあ、ウィル。話してもらうわよ」
上がる準備をし始めた俺を、メイスが呼び止めた。腕を組んで俺の前に立ち、話すまで退かないという意思を見せている。
「…でも、支度が」
「母さん、ちょっとウィルを借りるわよ」
「ちょ、ちょっと、メイス」
ああ、上がりなさい、というニナさんの声を聞いて、メイスが俺の腕を引いた。非力な俺は男でもないから、女の子のメイスにも勝てない。小さく抗議の声を上げつつ、引きずられるままに店の裏に回った。普段はちょっとした休憩場所兼倉庫として使われている所だ。
「さ、話して」
傍に置いてあった小さな丸椅子を二つ引き寄せ、一つに俺に座るよう促した。座ると同時にメイスが口を開く。
「さっきの男の人、やっぱり知り合いなんでしょう?」
「…………」
話そうかどうしようか迷っていると、メイスが大きくため息をつく。それはそうだろう。明らかに不審なところがあるのに、一つも話そうとしないのだから。自分でもわかってはいるけれど、なかなか踏ん切りがつかない。話してしまったら、もう元には戻れない、そんな気がする。
「ねぇ、ウィル。話したくないことなのかもしれないとは思うの。でも、何かわけありなんでしょう?母さんにも父さんにも言ってないわよね。…昨日の様子からすると、カインにだって話してない。違う?」
違わない。俺はコクリと頷いた。それだけで俺が肯定を示したとわかったようで、メイスがまた小さくため息をつく。
「全部を話せとは言わないわ。話さないからってここから出て行けなんて言うつもりもない。でもね、あたしはウィルが心配なのよ。最近あまり元気が無いでしょう?もしかして、そのことに関係があるんじゃないかなぁって思ったわけ。ね、話してみない?」
「………メイス」
「うん?」
ゆっくりと顔を上げた俺に、目を合わせるようにしてメイスが優しく微笑む。俺に安心して話せという意味なのだろう。俺は重い口を開いた。
「…もし、今まで騙していたとして、俺を許してくれる?」
「場合によるわね」
あっさりと返されたそれに、ぐっと詰まる。そう、そうだな。確かに俺の言い分じゃ都合がよすぎる。…許してもらえるかどうかなんて、俺が決められることじゃない。
「でも、あたしはウィルの味方でいたいと思ってる。ちゃんと説明してくれたら、あたしだってちゃんと理解してあげたいと思っているわ」
メイスが俺の手を掴んで引き寄せる。握られた手は暖かくて、俺の迷いを少しだけ溶かしてくれた。
「俺、…女なんだ」
メイスが目を見開く。俺がずっと見続けると、メイスはすぐに表情を元に戻した。
「なんとなく、そうかなって」
手を放さないまま、メイスは首をすくめて見せた。
「さっきの人が探してる相手、ウィルなんだろうなって思ってたの。彼が“短い黒髪の女の子”を強調するから余計に、…ウィルなんじゃないかなって」
「ごめん…」
「ううん、責めているわけじゃないの。ウィルが性別を偽っているのだって理由があるんでしょう?あの人に会いたくないわけも…」
「うん……」
簡単にイーグルと知り合いだったこと、家に住まわせてもらっていたこともあること、元いた町を出て今はカインと暮らしていることを伝えた。
「カインは本当に俺の弟なんだ。…腹違いの、ではあるけれど」
「だったらあの美系の彼は恋人?」
ううん、と力なく首を振る。俺は勝手にイーグルの元から去った身だ。それに、そんなことを約束した覚えもない。
「でも彼はウィルのことを本気で捜し求めているみたいだったわ」
「俺は…、もう彼の前に出ていけるような立場じゃないんだ」
「なぜ?そんなこと、誰が決めるの?それに、彼はそれを望んでいるようには見えなかったけれど」
俺は思わず黙り込む。イーグルがなぜ俺を探してくれているのか分からないが、俺が今更顔を合わせることができないのも事実だ。それを説明しようとすれば、間違いなくすべてを話してしまわなければいけなくなる。
「彼を、裏切ったから」
「え?」
「俺は、彼じゃなくてカインを選んだ」
だから、無理なのだと。メイスはしばらく驚いたように口を開かなかったが、最後に「そう…」とだけ小さく呟いて、ゆっくりとイスから立ち上がった。
「でも、ウィルも彼を求めているように見える。違う?」
メイスの言葉に何も返すことができない。メイスを見返すことが精一杯で、何も答えを返そうとしない俺から視線を逸らし、メイスは部屋を出て行った。
パタン、と木の扉が乾いた音をたてて閉まった。俺はその場から動くこともできず、ただその扉を見つめていた。