最近、ウィルの様子がおかしい。
そう気付いたのは、ウィルが働き始め、店にもお客さんにも慣れてきた頃だった。
ウィルはちょっと変わった子だと思う。私より年は下なのだけれど、しっかりしているというか、律儀とういうか。良く言えば謙虚。悪く言えば自分を卑下しすぎるところがある。
ウィルはすごく可愛い顔立ちをしている。男の子だけれど、“可愛い”の。目が少し垂れていて、瞳は漆黒だからか濡れて見える。そのキラキラした瞳は細く長い、黒々としたまつ毛に縁どられていて、二重の瞼も相まって大きく見える。実際に大きいとは思うけれど。神様は不公平よね。
最近伸びてきた少し癖の入った黒い髪も、何も手入れをしていないと本人は言うが、艶やかで細く、彼が動くたびにさらさらと揺れる。
色白で華奢で、すぐに赤く染まる頬とか、本当に女の子みたい。
そこで初めてウィルが本当は女の子なんじゃないかと思ったのだけれど、言動は男の子だし、店に来る女の子にもモテているし、一度はそこで思いなおしたの。まあ、女の子たちはみんなフィルより年上の子たちばかりで、みんな口をそろえて「可愛い」というばかりだったけれど。
仕事にも慣れてきた頃、ウィルの弟だと言うカインが学校に通う都合だとかで、遅くまでうちで働きたいと言い出した。うちとしてみれば元から人手は少ないくらいだったから、別に構わなかった。お母さんもお父さんもフィルをいたく気に入っていて、男の子だと言うのに、「遅くに一人で帰るのは危ない」と言っていたから、カインが迎えに来ると聞いた時はすぐにそうしなさいと言っていたし。でも、変な話よね。弟に迎えに来てもらうお兄ちゃんって。
確かにフィルは可愛かったから、男の子であれ夜遅くに暗い路地を歩いていたら、変な人にも連れ去られかねないと私でも思ったけれど。
そこでまた「あれ?」と思わなくもなかったの。弟であるカインだって明らかにウィルを女の子扱いしているし、ウィルを見る目がね、「可愛くて仕方がない」って感じだったんだもの。
そうやって遅くまでうちにいるようになって、ウィルといる時間が増えた。やっぱりウィルは変わった子だったけれど、いい子なのは変わりがなかった。ちょっと世間知らずかなと思わないでもなかったけれど、どうやらいいとこ育ちのようだったから、それでだろうなと勝手に思っていた。
夜、カインを待っている間、一緒にしゃべったりもしたわ。何度も言うけれどどこかずれたところがあるから、ウィルの言動は面白かったし、話していてもちゃんとこちらの話を真剣に聞いてくれるのが分かったから楽しかったしね。
夜はうちの店は翌日の仕込みに入る。もちろん娘の私もそれを手伝うのだけれど、それをウィルに手伝わせると本当に遅くなるから、母はだめだと言った。だからみんなが仕込みをしている間、カインが遅い時などウィルはぼんやりとただ待っていることも何度かあった。
ウィルはぼんやりしているとき、本人は気づいていないのだろうけれど、何かを思い出したかのようにぎゅっと眉を寄せて苦しそうな顔をすることがある。それが愁いを帯びて色っぽいのだけれど、すぐに元の表情に戻っているから、私も問い掛けることは無かった。そこでまた、3度目の「あれ?」っていう思いがあったのだけれど、ウィルは自分の話をしたがらないから、私からわざわざ聞くこともなかった。
「メイス、見た?」
昔からの友人の一人に声を掛けられたのは、お腹の中の子供の定期検診の帰りだった。
「久しぶり」も「元気にしてた?」も何もなくていきなりだったから何事かと思ったけれど、彼女が興奮している理由はすぐに分かった。
「リンネの店にね、いるのよ」
誰が、と言わずに彼女は私をぐいぐいと引っ張る。やめてよね、妊婦は走っちゃいけないのよ。
文句を言う間もなくリンネの店にはすぐに付いた。入るとすぐに女の子たちの声で店がきゃあきゃあと賑やかになっているのが分かった。普段女の子の通う率が高いこの店でも、さすがにここまで騒がしくはない。込み合った店内を見渡せば、その原因はすぐに分かった。
そう背の高くない女の子たちばかりの店の中で、明らかに1人群を抜いて背の高い人がいる。見ればすぐに男の人だと分かったし、みんなの視線が集中しているからその人のせいなんだって。
でも、彼が振り返ってこちらを見たとき、すぐにただ男の人がいるからだってわけじゃないことがわかったわ。金色の髪。癖のない少し長めのその髪は、一級品の金糸のようだったし、同じ金色のまつ毛に縁どられた瞳は目の覚めるような青。彫りの深い顔立ち。男性に初めて奇麗だという表現が当てはまると思ったわね。
「あの人?」
友人に聞くと、何度も頷いて返された。周りの女の子たちも彼に釘づけで、まるで夢の中にいるかのような瞳を彼に向けている。確かに、あれは恐ろしいくらいの美系だ。「なるほど」と無意識に呟いていた。どうりで強引に引っ張って来られるはずだわ。
「誰か人を探しているらしいのよ。それも女の子」
「何、恋人?」
「さあ、そこまでは彼も言っていないようだけれど、彼が述べた特徴にみんながやっきになっているのは確かね」
「特徴?」
「そう。黒髪の髪の短い女の子なんだって。ほら、あそこにいるエリゼなんて、面識もないのに自ら名乗り出たのよ」
そう言うと、彼の程近く、少し恥ずかしそうにして立っている女の子が目に入る。この町で黒髪の女の子って言ったら数人思いつくが、確かにエリゼは可愛いし、恋人候補として立候補しても文句は出ないかもしれない。でも、彼は違うとすぐさま断ったらしい。エリゼも断られただけに強く出れないみたいだけれど、それでもここから去れないほどには彼のことをまだ気に掛けているようだ。
「知り合いを探しているんでしょう?だったら名前を聞けばいいのに」
「少し複雑な事情があって、彼女は本名を名乗っていないのかもしれないのですって」
「何やらわけありなのね」
女心というものは、こういうわけあり事情に興味をひかれやすい。正体不明の少女を追い求める美青年。確かにみんなが食いつくのも無理はない。平凡な街だから、特にこういう非日常な出来事はみんなにとっておいしいものだろう。
「じゃああたしは赤髪だから該当しないわね」
「そうね。あたしも無理だわ」
黒というよりは茶色に近い髪の友人は、至極残念そうにそう言った。彼女は私と同い年だが、どうやら最近聞いた話では今のところ結婚の予定もなく、恋人らしい人もいないという。
「黒髪、ねぇ……」
一瞬よぎった顔に、まさかと思う。
黒髪で美女…、間違えた。美男子、だわ。あの人と並んだら本当に理想のカップルになりそう。
やだ、でも彼は男の子よ?髪は男の子だから当然短いけれど、あの人が探しているのは“女の子”だわ。
まさか、ねぇ……。
危ない想像が脳裏を横切る。禁断の愛?性別を超えた、熱い想い?でも彼は確かに「女の子を探している」と言っているのよ。まさか、ね。
いやいや、と頭を振りながら、一人心の中で決心する。
まさかとは思うけれど、聞いてみて損はないわよね。最近ウィルの様子もおかしいし…。
ぶつぶつと呟く私に友人は首を傾げるけれど、笑って誤魔化した。
彼はその後すぐに何事かをリンネに聞いたあと、店を出て行った。そのリンネに訊ねていたことがうちの店のことだとも知らずに。
店に戻ると、早速言いふらすようにさっきまでのことを話し始めた。もちろんウィルが聞いていることを狙って話したわよ。
「ねぇ、メイス…」
ほうら、ウィルが話し掛けてきた。まさかとは思うのに予想通り彼が話し掛けてきたことに、内心どきどきしていた。
「その人、どんな人だった?」
「え?男の人よ?」
「うん、教えてくれない?」
「知ってる人なの?」
「…ううん、たぶん知らないけれど興味があるだけ」
いたって普通に聞いてきているかと思えば、ウィルは時折どこか不安げな顔をして見せた。
教えてとせがむウィルに、まさかと思って「変な道に走っちゃいやよ」と念のため釘をさす。どうやらこれは当てが外れたようで、その言葉には動揺の欠片も見せなかった。
禁断愛の路線はハズレ、と…。
ウィルに彼の特徴を伝えると、ウィルの顔がだんだんと強張っていくのが見て取れた。最後に唸るように小さく呟いたウィルは明らかに普段と違っていて、動揺していることが分かったけれど、ウィルは悟られたくないのか平静を装うとするので、あえて強くきき返すこともできなかった。
その後、カインが迎えに来るまで、ウィルはちらちらと店の外を気にしていた。…ウィル、嘘がつけないタイプね。すぐにまるわかりよ。
その彼の後ろ姿を見ながらため息をついて、その日はとりあえず様子を見ることにした。次は、容赦しないからね。
それから数日後、ウィルにもう一度かまを掛けてみた。明らかに外に出たがらないのだもの。おかしいでしょ?裏で熱心に調理に励みながら、ふとした拍子に外の様子をうかがっているウィルを見て、声を掛けた。
「ねぇ、最近ウィルの顔を見てないって言っているお客さん、いっぱいいるのよ」
ウィルのファンは多い。年上のお姉さまから、お年寄り、小さな女の子まで。ウィルは話しかけられたことに丁寧に一々返すから、みんな最後にはすっかりウィルを気に入っているのだ。それに、可愛いからね。人間、誰しも可愛いものは愛でたくなるのよ。
ウィルは笑って誤魔化した。申し訳ないって笑い方をされると、弱いのよね。強く追及できなかった。
他愛無いおしゃべりを続けていると、外が何やら騒がしくなってきた。厨房から顔を出して外を見る。見ると、この店に訪れることのそう多くない、若い女の子たちでいっぱいになっていた。
「ちょっと、ベイ!何事!?」
近くにいた常連客に声を掛ける。彼は肩をすくめて見せて、店の入り口を指差した。
数人の女の子で人だかりができている。その真ん中には…、この間見た美青年。なるほど、また彼が原因ね。
「どうやら人探しらしいよ」
ベイが言う。黒髪の女の子だって、と彼が続けるのを聞きながらやっぱりね、と思う。
「まだ見つかってなかったんだ」
「なんだ、メイス。知り合いか?」
ううん、と首を振って答える。恐らく、そこの裏にいる子の知り合いよ、とは言えなかった。
ベイとそんな会話のやり取りをしていると、入口で女の子と話していた彼が、女の子の言葉に顔を上げる。傍にいた子は何かを言いながらこちらを指差し…
「「あ」」
思わず目が合ってしまった。吸い込まれそうなほどの青い瞳。随分と距離のあるここからでもその瞳にはすごく力があった。その瞳がだんだんと近づいてくる。息を呑んだまま、私もベイも何も話せなかった。
「ちょっと、いいかな」
声もすごく艶があって、話しかけられただけでひどく動揺した。うーん、これは女の子たちがノックダウンされるはずよ。
「ここに、黒髪の奇麗な子が働いているって聞いたのだけど」
薄らと笑みを浮かべて彼が問う。人の良さそうな笑みに見えなくもないが、なんだか危険な香りのする人だ。
「あ、ああ、でも“彼”は“男の子”よ?」
動揺を極力抑えてそう返す。彼の位置からではウィルは見えないはずだ。ゆっくりと慎重に厨房からちゃんと出て行った。
「ああ…、そう、“彼”は“男の子”なのか…」
心得た、とばかりに彼は穏やかに言った。その表情はどこか寂しげで、最後に彼が何か小さく呟いた。聞きとれはしなかったが、口の形から、「やっぱり」と言ったように思えた。
「ごめんなさい、お役に立てなくって」
彼のその悲しげな表情に、謝らなければいけない気がした。
「…もし何かわかったら、教えてくれないかな」
「え?」
彼が突然そういうものだから、間抜けな声が出てしまった。
「街の宿屋、『ミースクラッド』にいるから」
何か私がまだ知っていると彼が思っているようで、思わず体が強張る。
「あ、そうだ」
「…なぁに」
去りかけた彼は思いついたように振り返った。さも今思い出したかのような声音。でも、その顔は明らかに我知ったる、といった表情で…。
「その子、なんて名前?」
彼は知っているの?やっぱりウィルが、彼の探している人なの?
疑問が胸を渦巻く中、平常心を取り戻して小さく息を吸う。しっかりしないと、彼の瞳に惑わされそうだ。
「悪いけれど…、個人情報だから、あたしからは教えられない。…また、その子に聞いて?」
ウィルが出たがらないのだから、安易に教えることはできない。何か、事情があるのかもしれない。
「じゃあ、また今度その子に会えるの楽しみにしてる」
彼は妖艶にそう笑って告げた。もうウィルに会えるのは彼の中で確定のようだ。崩れない奇麗な笑顔が、なんだか怖かった。
今夜、今夜こそウィルを問いただそう。
私の心はきまった。