アイリーン 第三章 -エミリア-

17.帰り道で

カインが店に顔を出したのは、メイスが店を出て行ってから30分ほど後、俺がちょうど上がる時間を迎えたころだった。
カインは学校が忙しいはずなのに、俺の迎えを欠かさない。几帳面な性格を表すかのように、何も言わずに遅刻することだって絶対にない。遅れるときは何か必ず連絡が入るし、遅くなるようなら出かけに言ってきたりする。
「…また、浮かない顔」
どうやら俺に感情を顔に出すなということは無理らしい。思っているそのままが出る。自分がどんな顔をしているかわからない分、俺はそれを抑えることもできない。
店を出て歩きながら、静かに話し出す。繁華街からそれたこの界隈は、住宅地も多く、夜は大変静かで明かりも少ない。それでも暗闇に時々照らされる明りに、容赦なく俺の表情は読み取られてしまう。
「ちょっと、しくじって」
しくじったのは事実だ。しくじって、…イーグルの声を聞いてしまった。メイスに女だということがばれた。

…イーグルに会いたいと思ってしまった。

「ご飯、食べたの」
そんな俺の気持ちを知らず、カインはただ心配だと言うようにそう聞いてきた。頷き返すと、「そう」と一言だけ返ってきた。
「ちょっと、本当にちょっとしくじって落ち込んでるだけだから」
「そう」
ちょっと、ちょっとだけなんだ、本当に。イーグルの声を聞いたって姿を見たわけじゃないし、メイスにばれたけれど彼女も大体察してはいたようだから。会いたいのだって、ただ本当にちょっと、会いたいなぁって…

「あいつに会ったよ」

びくりと肩が跳ねた。驚きすぎて声も出ない。“誰”と言われたわけでもないのに、カインの指す言葉が誰かすぐに分かってしまう。
「…その様子だと、ウィルのところにも来たみたいだね」
「で、でもっ、会ってはいないんだ。ほんと、本当に、会ってはいないから」
「ウィル、落ち着いて」
自分でもひどく動揺しているのが分かる。カインと一緒に出てくるときに、アカデミーに行くのは伝えていたのだから、カインに会おうと思えば学校に行けば済む。俺を探すなら確かにカインに聞くのが一番だ。
じゃあ、あそこに現れたのは確信犯?
「それとなくウィルのことを聞かれて、元気にしてるとだけ答えた」
「…………」
「どこにいるかは言っていないよ。…彼も聞かなかったし」
聞かなかったのは相手がカインだから遠慮したの?それとも別の理由?
悲しいなんて思う資格はないのに、もしかしたらあそこに現れたのは本当に偶然で、探しているのも俺じゃないのじゃないかと思ってしまう。…俺以外、ありえないってわかっているのに。
「店に、来たんだ。俺は厨房に入っていたから直接会ってはいないけれど、メイスが厨房の入口でイーグルと話していたから…」
「…会わなかったんだ?」
「うん…。だって、会えないよ」
「僕としては会ってほしくないけれど、ね」
その続きをカインは言わなかった。自分がどんな顔をしているのかわからないけれど、会えなくて良かったなんて顔をしていないのは知っている。だけど、たとえカインに俺の気持ちがばれているとしても、今更会いたいなんて言い出せるはずがないんだ。
「…これからも、会わないつもりだよ」
「そう」
「しばらく厨房の方に入らせてもらうし、メイスにだって会わないって伝えてあるから」
「…わかった」
それが良いとも悪いともカインは言わない。俺は卑怯だ。これじゃあ釈明しているようじゃないか。カインに許しを求めているのと変わりない。
情けなくなって俯いてしまう。
「…明日、休みだっけ」
そんな俺に気付いたのか、カインは急に話題を変えてきた。顔を上げると、少し困ったような顔をしてカインが笑っていた。
確かに明日は休みだ。住み込みで働かせてもらっているわけではないので、週に1度はきちんと休みを取るように言われているのだ。
「あ、そう、休みだよ」
「僕、学校があるから」
「うん。家で留守番しているから気にしないで」
そう言って笑ってみせると、ようやくそこでカインも少し笑ってくれた。それを見て気が緩み、情けなくも安堵の息を漏らす。
「なるべく早く帰ってくるから」
「うん。ご飯用意して待ってるね」
休みの日は大概俺が晩御飯の用意をする。最近は特に、料理の練習も兼ねてしているのだが、まだまだ店で出せるようなものではなく、カインにおいしいと言ってもらえるのがやっとだ。見た目は悪いけれど。
明日、家で何をしようか。カインがいないのであれば、外にあまり出歩くのも良くないし…。幼い頃からあまり外に出たことが無かった俺は、一人で街に出るとよく迷子になってしまう。前の街ではイーグルとよく出掛けていたし…、そのうち道も覚えることができた。この町はまだ不慣れだ。変な人に絡まれやすい俺は、すぐにカインに心配を掛けてしまう。仕方がない。この間、買ってきてもらった本でも読んで家でゆっくりしよう。そう心の中でひとりごちて、カインの話に返事を打つ。
そう多くない会話を続けるうちに、すぐに家についた。
「ウィル…」
部屋に先に上がった俺に、玄関で立ち止まったカインが声を掛けてくる。
「なに?」
「…………」
夜色の目を静かにこちらに向けて、カインが俺をじっと見てきた。なに、ともう一度首を傾げて聞き返す
「なんでもない。…明日、留守番よろしく」
「…うん」
カインが何を言おうとしたのかさっぱりわからなかったけれど、どうやらもうこの話は終わりのようなので、それ以上何も言わずに自分の部屋に入った。部屋に入る前にちらりと見たカインは何事もなかったかのようにいつもと変わらない表情で、キッチンの奥に入っていくところだった。


俺にはいつも他人の心が分からない。
配慮が、足りないのかもしれない。


 

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