アイリーン 第一章 -リッカルード-

8.胸の豊かさ=脂肪

 
しばらく何が起こったかわからなかった。

正面にイーグルを見据えていたはずなのに、いつの間にか…
いや、前にはいるんだけど、その、感覚がおかしかった。
背中にフサフサしたものを感じるし、それがずっと足まで続いている。
なんていうかな、…重力が俺の背中に向かっている。

「…ウィル…」

イーグルが色っぽい声で俺を呼ぶ。
ぞくりと肌が粟立つ。顔が影になってよく分からないのに、目の青だけがやけに鮮明で、視線が離せない。
上からイーグルの手が俺を囲むように伸び、脚は絡めるように押さえつけられていた。
動けない俺なんかおかまいなしに、イーグルの手が滑らかに動いて俺の首筋から下に降りてゆく。

「あっ」

言い得ぬ何かが走り抜け、鼻にかかったような甘い声が漏れる。

「やっ、やだ」

プチプチとシャツのボタンがはずされ、前がどんどんと肌けていく。
暴れてもがっちりと押さえられ、びくともしない。
やっぱり自分が非力で嫌になる。
頭の片隅で、父親がせせら笑っている気さえした。

「や、…だ…てば…」

視界が滲み、声が震えた。
背中が震え、足もガクガクする。
怖い。

「大丈夫だから」

耳元で優しく囁かれ、少しだけ力が抜けた。
それでも怖くて、イーグルのシャツをきゅっと握ったら動きを止めてくれた。

「やっぱり…」

やっぱり?
イーグルは俺の体の脇に手を突き、上からしげしげと俺の全開になった前を見つめていた。
キョトンとして見返すと、ちょっと困った顔をされた。

「やっぱり君は女だよ」
「え?」
「胸があるからね」
「!?」

そんなことでじっと見られていたとは露知らず、さーっと顔が赤くなったり青くなったりした。

「別に胸くらいみんなあるだろっ。ちょっと胸板が豊かな脂肪と化しているだけだよ」
「あのね、これだけ豊かに胸のある男の人が、これだけ細いわけがないの」

半ば呆れるようにして言われた。
俺は肥満体だと思っていたのに…違うのか?

「奇形なだけだよ」
「まだ言うかな」

イーグルはむっとしたように眉を顰めた。


「下も確認する?」


俺は恐ろしくなってぶんぶんと首を振った。
 
 

でも……女?
俺が?

怖くて下の確認はさせなかったものの、自分でもなんとなく違うのは理解できた。
でも、いきなり女だと言われてもピンとこない。
俺が知っている女の人と言えば、継母と乳母くらいのものだ。
長年インドア派にさせられていたおかげで、余所様のお宅の夫人はおろか、通行人の女性だってほとんど見たことがなかった。
大衆浴場やその他大勢で裸体を晒す場に遭遇することもなかったし、兄弟の裸体さえ見たことがない。
そのくらい俺は隔離状態に近かったのだ。

「ほら立って」

いつの間にか、かいがいしくまた俺のシャツのボタンをはめていたイーグルは、俺の脇に手を入れてひょいと持ち上げた。

「まだ性別問題以外にも、話し合わないといけないことがあるだろ?」
「話し合い?」
「そう」

イーグルの目は真剣だ。
逃がさないぞっていうのがオーラからもわかる。

「もちろんラトレアのことも聞きたいんだけどね。まずは、家出した理由かな?」

沈黙。

「…なんで家出だってわかったの?」

本当に驚いた。
エスパーか?

「もうだいたいつかめちゃったよ。ウィルの家族像がね。だからさ、家がイヤで出てきたんだろう?」

こくんと頷く。
本当にこの人は呑み込みが早い人なんだと思う。

「ウィルっていうのは本名?」
「…違う。愛称、っていうのかな」

これ以上隠したって仕方がないと思い、正直に言った。
愛称、とは違うのかもしれないけれど、親につけられた名前ではない。
そういう意味で、俺は首を横に振った。

ウィルって言うのは、みんながその名前で呼ぶから一番しっくりくるんだけど…よく考えたら、父がそう言わないと怒るからだったんだと気付く。


「じゃあ、まず本名は?」
「アイリーン」

俺は息を大きく吸った。


「アイリーン・グレイ」




 
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