嘘つきな彼女

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  1.不機嫌な彼女  

無視が精神的に一番応えると聞いたことがある。それは、いじめだとかそういう低レベルな次元での話かもしれないが、そんな小さな抵抗でもしないよりはマシじゃないだろうか。

「美亜、みあ、みーあ」
なんだよ、人を猫みたいに。普段からは考えられない甘ったるい声を背後に聞きながら、冒頭の通り無視を決め込む。普段とはわたしに対してのもので、日常の中でなら似たような甘ったるい声を聞いたことがある。でもそれとはまた違う気がするのは、気のせいだろうか。
「みあちゃーん」
うん、気のせいじゃないかも。だって外面仕様のときだって、こんな馬鹿みたいに猫の鳴き声かと思うくらい何度も連呼したりしない。まず、わたしの名前だって呼ばない。

だって所詮、わたしは愛人だもの。

「聞いてる?美亜」
「……………」
無視って応えるなぁ〜なんて、そんな呑気に言われても、本当に効いているとは思えない。…少しは本当に困ればいいんだ。
わたしの気持ちなんて、一つだってわからないくせに。
「…美亜?」
背中を向けて、ラグマットの上に直接座して読書に勤しんでいたわたしの背後から、すっと手が伸びて本を攫われる。パタン、と閉じられて床に押し付けられた本を見つめ、次いでわたしの隣に身体を滑らせて、下から見上げてきた男と目が合う。
「美亜ちゃん?」
湿った黒髪がさらりと彼の顔を流れる。瞳の色は灰色に近く、色素の薄いその瞳のせいで、黒髪が浮いて見える。もしかすると、染めているのかもしれない。でも、そこまで突っ込んだ話は聞いたことがない。だって、必要ないもの。
「なんで、服着てるの」
未だ本の上に手をついたまま、狙いを定めた獣のように、鋭い視線が私を貫く。灰色の目に映る自分を認めて、不覚にも鼓動が早まる。
男の綺麗な指が、私の膝頭に触れる。人差指ですっと太ももをなぞる。スカートの裾が徐々に捲れ、上がっていく。
「…っ……」
くそう、なんでわたし、こんなときにスカートをはいているのよ。きつく目の前の男を睨みつけると、灰色の瞳が楽しそうに揺れた。口角が意地悪く吊り上がり、決してなぞる指を止めることはない。
「焦らすつもりか?脱がすのも楽しいけど」
掌まで太ももに這わせ、端正な顔が指と、背筋を這いあがる感覚とともに近付く。わたしを跨ぐように反対側の床についた手は動かさないまま、距離がどんどん近くなる。
ちゅ、とあやすような触れるだけのキス。そんな他愛無さとは逆に、差し込まれた右手は下着のラインを妖しく撫でる。
「……っ、ん」
「美亜」
焦点が合わないほどの距離で見つめられたまま、熱を孕んだ声がわたしの名前を呼ぶ。先程の茶化すようなトーンとは打って変わり、心臓を直撃する悩殺ボイス。
わたしの弱いところなんて知り尽くしているその指は、内腿へと滑っていく。今度は下着には触れず、くすぐるように指が何度も往復した。
「…っ、……っ」
「なに、我慢大会?そんなの俺に通用すると思ってる?」
必死で声を押し殺しているわたしを嘲笑うかのように、際どいラインを撫でていた指が下着の真ん中に触れる。「あっ」思わず出てしまった声に、くつりと心底楽しそうに間近で唇が歪んだ。
「まだ序の口だけど?」
「っ、ん、は」
蠢く指に、楽しそうな声。憎らしいのに、ひどく切なくなる。
「美亜、感じて」
恋人のように何度も愛しそうに呼ぶその声が、憎らしいのにひどく愛おしい。

「…っ、はっ、んっ」
我慢し続けるわたしに、呆れたように目の前の男が息を吐く。
「仕方ないな…」
男が折れたのか、触れない距離にあった唇が声までを塞ぐようにきつく押し当てられる。いきなり舌が差し込まれ、床をついていた手はわたしの後頭部へと回される。

恋人じゃないのに、優しくしないで。
ただの体の関係なら、夢を見させないで。

「美亜、みあ」

そんなに愛おしそうに、キスの合間に名前を呼ぶなんて。
愛人だというなら、決して、そんなことはしないで。

耐えきれなくなって、わたしは目の前の美しい男に自ら手を伸ばした。


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