嘘つきな彼女

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  11.傷心の彼女  

社会人になって初めて、仕事に行くのが嫌だと感じた。
笑える自信がない。泣きすぎで、顔が腫れぼったいし、頭が重い。二日酔いみたい。
細く開いたカーテンの隙間から、朝の白い光が差し込む。鳥の鳴き声が聞こえて、いつの間に眠ったんだろうと働かない頭で考えた。
あまり眠った気がしない。当然と言えば当然で、ほとんど泣いたりぼんやりとしていただけの夜も、いつの間にか終わってしまっていた。
今日は別に休みでもない。今日は金曜日で、ようやく週末を迎えようとしていた。
枕の下から携帯を引っ張りだす。恐る恐る電源を付けると、一番に目に飛び込んだ不在着信の表示にどきりとした。そりゃあそうか、電話が来たときに電源を落としたんだもの。
その表示を切って、待ち受け画面に目を向けると、確かに画面の時計は朝の時刻を指していた。いつもより少し早いけれど、この重い体ではゆっくりとしか支度ができないだろう。目の腫れも冷やさなければいけない。
ノロノロと身体を動かす。今日やる仕事をぼんやりと頭の中で思い浮かべて、思わず顔をしかめた。だって、今日の決裁の印をもらったら、間違いなく隣の課、営業課へ書類を持っていかなければならない。営業なので、外回りをしていたら顔を合わせることはないけれど、可能性はゼロじゃない。
姿を捉えて、平静でいられる自信がなかった。

いつからこんなに弱くなったのだろう。
鞄に手を掛けて、朝食も取らずに部屋を出る。鍵を掛ける手も、階段を下りる足も、何もかもが重い。
電車に揺られ、乗り過ごしそうになりながらなんとか会社の最寄りの駅で降りる。一歩一歩会社に近づくにつれ、憂鬱な気持ちが大きくなる。
「おはよっ、美亜」
トン、と肩を軽く押された。それだけで身体が傾ぐ。
「おはよ」
振り返るとやはりと言うか、そこには山崎がいて、わたしと目が合うと途端に驚いた表情になった。
「何その顔、寝不足?」
「んー、なんか眠れなくってさ」
「何か悩みごと?」
普段睡眠時間をきっちり取るわたしを知っている山崎からしたら、余程驚くことだったようで、目を見開いた状態のまま、問いかけてくる。
「ううん、ちょっと本に嵌っちゃって」
「美亜ってば…、ほどほどにしときなね」
納得したのか、呆れたように笑われただけで済んだ。山崎さえ誤魔化せたらなんとかなる。
「寝不足だかなんだか知らないけど、しんどくなったらちゃんと早退させてもらいなさいね」
どこか気付いているようなその言い方に、どきりとして彼女を見たけれど、苦笑しか見てとれなかった。もしかすると気付いているのかもしれないけれど、きっとわたしの性格を知っている彼女のことだから、わたしが口を割らないのも分かっているのだろう。だから、きっとわたしが話すまで山崎は聞いてこない。
ごめんね…。これは、話せないの。いつか平気になったら、ちゃんと話すから…。

山崎とはエレベーターで別れた。秘書課に異動した山崎とはフロアが異なるのだ。
「おはようございます」と周囲に声を掛けながらフロアに入る。入口からフロアの右を突っ切って奥が更衣室、左が営業課とのパーティションだ。なるべく左を見ないまま、更衣室へと向かう。
平常心、平常心。今日はもう、仕事のこと以外考えない。
「おはよ、桐島さん。早いのね」
「あ、…おはようございます」
小野寺女史に会って、不覚にもどきりとする。動揺しちゃいけないと言い聞かせている傍からこれだ。彼女はたぶんわたしと井関さんの関係を知らないはずだ。なのに、彼女が声を掛けてきた意味を勘繰ってしまう。
何かの牽制?今更、そんなこと気にしなくてもいいはずなのに。
「おはようございます」
わたしの後ろから後輩の女の子が入ってきて、小野寺さんは彼女に挨拶を返すとそのまま出て行ってしまった。無意識に息を吐く。
「小野寺さん、最近やけに上機嫌ですよね」
「そう、ね…」
その意味を考えて、憂鬱になる。やっぱり、自分の気持ちになんて気付かなければ良かった。
身体がだんだん重くなる。心も、頭も、ずんと重い。
荷物をおろして、制服に着替える。シャツが冷えて、その冷たさに思わず身がすくむ。
コーヒーを飲もう。熱くて、苦い、とびきり濃いやつを。そうしたら頭が少しはしゃきりとするかもしれない。
制服のポケットに小銭入れを入れて、更衣室を出た。


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