嘘つきな彼女
13.捕まった彼女
静寂が痛い。何も言葉を交わしていないのに、その無言の空気がわたしを責めているように思える。
わたしが悪いわけじゃないのに。なぜ、責められなきゃいけないのかは分からないけれど。
コツ、コツと靴音を響かせて、井関さんが寄ってくる。ぼんやりした視界では、なんとなく不機嫌だということしか感じられなくて、どこか安心した。きっと、はっきりと目が合ってしまったら、また動揺を隠せない気がするから。
「熱は」
ひた、と冷たくて大きな手が額に触れる。驚くほど冷たい。外回りから戻ってきたばかりなのかもしれない。
「…ない、か?」
「たぶん、貧血、なので」
恐る恐る言葉を返す。思ったより、平静でいられそうだ。久しぶりに彼の香りを、熱を傍で感じて内心動揺していないわけがないのだけれど、ちゃんと視線が合わないと思ったら、やっぱりちょっと心が軽くなる。
「それで、」
ぎっと音がして、ベットが軋んだ。確かめなくても分かる。彼がベッドの淵に腰をおろしたのだ。
「なんで、俺はあの日帰らされたわけ?」
「…っ、だ、だって」
それを、いきなり聞くのか。わたしだって聞きたい。どういうつもりで、まだあの関係を続けようと言うのか。ほんと、どういう神経してるんだか。
「あの寒空の中、俺がどれだけ粘ったと」
「ご、ごめ」
いや、ちょっと待て。なぜ謝らねばならない。でも、逆らうと後が怖いんだもの。
「それに眼鏡。外でははずすなと言ってるだろ」
目尻をちょい、となぞられる。言葉の横暴さとは逆に、その触れる指はやけに優しい。
胸を高鳴らせてる場合じゃないよ、わたし。寝るときぐらいそりゃあ、眼鏡はずすでしょうが。
「松永にも、触らせてんな」
ぐい、と腕を引かれる。いつもよりさらに抵抗力は落ちていて、重い体は自然と引かれるまま彼の腕の中へ。
だからっ、なんでこうなるの。
「やっぱりちょっと熱いな」
「ちょ、ちょっと」
腕の中でもがくけれど、身体がだるくて言うことを聞かない。もぞりと身体を震わしただけだ。
「ったく、どれだけ俺を焦らせば気が済むんだ」
「な、んむ、ぅ」
身体を押しつけられたまま、顔が迫り、貪るような口付けが始まる。
「はぁ、ん、ん」
やばい、さっきまで遠のいていた意識が再びどこかにいってしまいそうになる。でも、さっきまでのしんどさだけじゃなくて、別の熱が含まれている。
身体は正直だ。この触れる甘さに、与えられる熱に、嬉しくて無意識に震える。熱が、上がる。
「もう、逃げるなよ」
「あっ、や、ダメ」
押し倒された背中の後ろに手が潜り込んで、ホックをはずす。締め付けがとれて、余計に身体が震えた気がした。
「逃がすかよ」
「ぁん、やっ、は」
器用に首筋にキスを落としながら、片手で膨らみに触れる。
ここはまだ会社だと言うのに、本格的に手が身体を弄り始める。ロクに抵抗できないのが、恥ずかしくて、悔しくて、でも、嬉しいと思ってしまっている馬鹿な自分がいる。
「んん、ぅん」
声を抑えるためか、彼の指が唇にするりと滑りこむ。唇は肌をなぞり、膨らみの頂点を食む。唇で舐めるように、時折噛んで、私に間断なく刺激を与える。
「ん、んんっ」
その刺激に耐えられなくて指を噛んでしまう。意図せず甘噛みのようになってしまうその行為に、「エロいな」と失礼な言葉が掛けられる。誰のせいよ、誰のっ。
「んぁっ、はんっ」
指を口に咥えたまま、止まない刺激に喘ぐ。わたしのその反応を楽しむように、唇は胸への刺激を止めず、もう片方の手は肌をなぞりするすると下に降りていく。内股を撫で、下着の上から焦らすようにゆるゆると触れるだけの刺激。
ここはまだ会社だと言うのに、口内に差し込まれた指のせいで、抗議もできない。
誰かきたら、どうするの。こんなところで、本当にするつもり?
突如そうなってしまったことに焦って、なぜまたこんなことになっているのかということにまで頭が回らない。
「絶対、逃がしたりしねぇから」
「んっ……!」
差し込まれた指を、すんなりと受け入れる。馴らされたわたしの身体は、導かれるままに素直に快楽に引きずり込まれる。
「誰にも、渡すかよ」
「ん、ぅ、ぁ…っ、ぁんっ!!」
医務室のベッドに押し付けられ、ギシギシとベッドが軋む。与えられる刺激に、一向に抗える気がしない。理性ではこのままじゃいけないとわかっていても、馴らされたわたしの身体が抵抗できるわけがない。
くるりと指を器用に動かして、私の中を彼の指が抉る。もう片方の指は依然わたしの口の中に差し込まれ、息もうまく継げない。
「らめっ、やっ…―――!!」
だんだんと身体の熱は増して、指を食んでいては喘ぐことさえ苦しい。儘ならない呼吸と与えられる強い刺激のせいで、本当に目の前が白くなる。
加減というものを知ってほしい。
会社の医務室で、病人相手に…。しかも、わたしずっと避けていたのに。
「美亜、今日は早上がりするから先に帰るなよ」
あんなに悩んだのに、この変わらない態度はどうなのだろう。
わたしの呼吸が整うと、少し緩んだネクタイを締め直して、井関さんが立ちあがる。わたしの服も乱れてはいるものの、医務室に寝かされているからそうおかしいものではないくらいに整えられている。
指でされただけだし…、ブラのホックをはずされているのは外からじゃわからないし。前をいつの間に閉めたのかはわからないけれど。
本当に何をしに来たんだか、言うだけ言って、医務室を出ていく。早上がりって、トップセールスマンなんだからちゃんと仕事しなさいよ。
井関さんの後姿を見送って、ブツブツと頭の中で文句を繰り返しながら、自分も以前のように戻ってしまっていることに気が付く。うわべだけで文句を連ねて、内心はそれを裏切るように胸が高鳴る。
だめ、なのに。このまま気持ちを引きずってずるずる関係を続けていては、終わりが来たときにひどく傷つくことはわかっている。まだ傷が浅いうちに離れるべきなのに、それも許されない?
“先に帰るなよ”ということは、またこのまま家に直行と言うことなんだろう。それともホテル?逃がさないと言った言葉通り、またわたしを抱くつもりなのだろう。そうしてきっと、わたしは逃げられはしないのだ。
結婚を控えてるくせに、一体どういうつもりなのか―…。男の人というのはこういうもの?身体だけの関係でも、手放すのは惜しいというの?
顔を上げて医務室にかかった時計を見る。終業前一時間。この程度なら、仕事に戻っても大丈夫そうだ。倒れていたのも一時間ぐらい。早退をする時間でもないし、とりあえずフロアに戻ろう。
見つからないように帰ればいいんだ。
小さく決心して医務室を出た。
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