嘘つきな彼女
15.流される彼女
言葉一つで浮かれるなんてバカだ。
そう思うのに、制御できない。
「美亜、美亜」
名前を呼ばれるだけで、頭の中が甘く溶ける。
キス一つで脳が痺れ、触れられるだけで肌が震える。
身体の芯から熱が込み上げ、無意識のうちに情欲が沸く。
「はっ」
触れるだけの唇がもどかしくなって、思わず息が上がる。
緩んだ瞬間に滑り込む舌。
絡む水音にも熱が上がり、何も考えられなくなる。
「ちょ、待…って…!」
「待たない」
いつもは横暴だとか思うのに、その強引さえ甘く感じてしまう。
熱すぎて頭が馬鹿になってるんだ。
「はっ、あ」
穿たれる熱に犯されていく。
手を伸ばして身体を引き寄せ、首に腕を回して唇をねだる。
「や、もうっ…」
「ど、した?」
譫言のように呟いた言葉に、低く返事が返ってくる。
その掠れた声に、彼も感じているのだと無性に嬉しくなる。
「すき、…だい、すき」
至近距離で気持ちを告げる。
どうしてだろう、気持ちが溢れて止まらない。
あんなに堪えていたからか、嘘みたいに簡単に口を突いて出た。
「やっと言ったな」
言えなかったのは誰のせいだと思ってるのか。
「殺し文句」
「あっ!、やぁ、ダメっ!!」
より一層激しくされる。
壊れて、おかしくなってしまうんじゃないか。
容量オーバーの気持ちと快感が、わたしの頭の中を白くする。
明滅する、光。
流されちゃったよ。
「なに、膨れてんだ」
胸に手を置いて考えてみなさい。じとりと目線だけを送ってテレパスを試みる。
なぜそれが通じじゃっているのか、したり顔でこちらを見てくる井関さん。分かってるならちょっとは反省の色を見せればいいのに。
「分かってるけど反省するもんでもないだろう。したいからする。何が悪い」
ああ、もう本当にわたしはこの人のどこが良かったんだか。
「…だから、そうじゃなくて」
聞きたいことはいっぱいあるのに、何から聞いていいかわからない。まず、順番がおかしいんだ。元々地味で引っ込み思案なわたしが、この無駄に華やかな男と身体の関係から始まったっていうのがおかしかったのだ。
なぜ、わたしにこんなことが起こったのか。
「お前、俺のこと無視しただろ」
「はい?」
「研修のとき。携帯の番号まで握らせたのに、あっさり無視しやがって」
ああ、確かに研修のときこの人がわたしの班のリーダーで来ていた。そして何か分からない紙片を渡された。でもそれは、奪われちゃったのだから仕方ない。
「同じ班の森本さん、彼女が『それは私のだ』というから素直に渡したまでですよ」
「ちょっとは疑えっ!そのせいでしばらく迷惑メールが尽きなかったんだからな」
それは自業自得というものだろう。日ごろの行いが悪いせいで、女の子たちももしかすると遊んでもらえるんじゃないかと勘違いしちゃうんだ。
しかも、森本さんからのメールをわたしからだと思い込んでいたらしい。
同じチームのよしみで彼女のメールを一度だけ拝見したことがあるが、わたしは間違ってもあんなにド派手なメールを送りつけたりなんかしない。あの多様な絵文字遣いはある意味芸術だと思う。
むしろ、この地味な女があんな派手なメールを送ってくると思うことが不思議だ。
「浮かれてたんだよ、柄にもなく。本当、ばっかじゃねぇの」
最後のは自分に向けての言葉だと思いたい。この俺様男が自嘲気味につぶやくなんて、それこそ夢のようだと思うけれど。
「ようやくご飯に連れ出したと思えば、デートだとすら認識されてねぇし」
ふざけんなっ、と息まく。今更言われても、それはあなたが悪いでしょう。あんな誘い方、誰も本気だと思わないわよ。
「4年だぞ、4年。ここまで持ち込むのにどれだけかかってんだ」
その時ようやく思い当たることがあった。
「彼女がいたじゃないですか!」
「あ?」
「経理の斎藤さん、秘書課の牧村さん、営業課の真田さんっ!」
「…よくご存じで」
途端に面喰った顔になる。物覚えは良いのよね、わたし。どうだ、と威張ってみても、虚しいだけなんだけれど。
「それにっ……総務課の小野寺さん!!」
「ああ、あいつな」
ヒートアップし始めたわたしとは対照的に、先程の勢いをなくした井関さん。そんな態度もなんだか悲しい。やっぱり、遊びだって言いたいの?
「小野寺のあの態度には参ったな」
「結婚するって噂じゃないですか!わたし、不倫は嫌ですからね!」
「は?」
怪訝な顔になる井関さん。やっぱり不倫は飛躍しすぎたのかな。だって、まだ付き合う話にもなっていないのに。
「なんでお前がいるのに小野寺と結婚するんだ」
「は?」
今度はわたしが間抜けな声を出す番だった。
「あいつが結婚の噂を流したのは松永が相手だぞ」
「え、それじゃ」
「お前の勘違い、だな」
「じゃあ、なんで二人で社食に」
「松永と俺は同期で仲が良いらしいからな」
どうも客観視した言い方が気にかかるが、確かに小野寺さんと一緒のところを見ただけで、結婚の話は彼女の口からしか聞かなかった。
「それに、俺はあんな騒々しい女は嫌いだ」
一緒にご飯食べてたくせに。それほど嫌そうにも見えなかったけれど、こいつの二面性を侮ってはいけない。
普段愛想の良い笑顔を振りまいていても、本当は毒だらけなのだから。今のこの顔。井関さんに憧れを抱いている女子の皆様の心は木っ端みじんになるだろう。黒いよ。
「でも、小野寺さんが井関さんを落としたって…」
「げっ、あいつそんなことまで言ってるのか。女は怖いな」
井関さんの説明によると、彼女の狙いは松永さんだったらしい。でも、彼にうまくあしらわれて、見かけは愛想の良い井関さんに方向転換したということみたいだ。
「俺か松永のどっちか落とせればいいって思ってるんだろ。俺には松永とうまくいくようになんとかしてくれって言ってきたぞ」
あいつが断るから悪い、とか仲が良いとはとても思えないことを呟いている。
「はぁ?あいつとの仲が良いわけないだろう」
素直に感想を伝えると、とても驚いた顔をしていた。彼曰く、『犬猿の仲』というやつなのだそうだ。嘘くさい笑顔はそっくりだと思うけど。松永さんもどこか得体のしれない感じがするのよね。
「他の男のこと考えてるな」
「ちょ、どこ触って」
「胸」
「聞いてるわけじゃないですっ」
じたばたと暴れるも、そう簡単にやめてくれるわけがない。そうだ。この人、強引だったんだ。
「別にいいだろ。減るもんじゃなし」
本当にこの人は……。ムードの欠片もない。想いが通じ合った後とは思えない。
「そうむくれるなって」
ごそごそと人の体を弄りながら言う言葉じゃない。
「いっぱい愛してやるから、いっぱい啼けよ」
こんのっ、ド変態!!鬼畜!!
「だから、どうしてそうっ…あっ、や、待ってってば」
「もうワンラウンドな」
どうしてこう、進歩がないのよ!!
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