嘘つきな彼女
17.変わりたい彼女
可愛くなりたいと思うのは、誰のため?
さすがに自分がここまで単純な女だとは思わなかった。
「良い決心じゃない」
親友の言葉を聞きながら、思わずため息が漏れる。これでもう何回目だろう。溜め息を吐くと幸せが逃げると言うけれど、それが本当なら今日だけで一生分の幸せをなくしてしまったのじゃないかと思う。
「ゴロゴロする」
「初めは違和感を感じるのは仕方ないわよ。すぐに慣れるから心配しなくても良いんじゃない?」
シルバーフレームの眼鏡を机に置いて眺める。これとは何年のお付き合いだっただろう。視力が落ちたのが中学生の時からなので、もう10年以上経っているはずだ。昔からこの地味な眼鏡を愛用していた。愛用、というよりは頓着していなかったという方が正しいのかもしれない。おしゃれにあまり興味がなかったし、視界が矯正されるならなんでもいいと思っていたから。
でも、今こうやっていらなくなったと感じると、途端に愛着がわくものだ。
「せっかくコンタクトに変えたのに、また眼鏡に戻すとか言い出さないでよ」
「…ばれた?」
何も着けていないのにクリアな視界。枠のない世界。確かに視野が広がった気はするけれど、この目の違和感は本当に消えるのだろうか。
「ずいぶんと遅いコンタクトデビューよね。この調子で次は美容院に行くわよ」
今日は午前も早くから眼科に行って、コンタクトに変えてみた。山崎を叩き起したときは何事かと怒られたけれど、理由を言うと、なぜか急に積極的に手伝ってくれると言いだした。
この他人ごとなのにすごく楽しそうな感じ。なんだかしてもらっているのに、こんなにも他人事で喜ばれるとすごく不安な感じだ。
「美容院くらいいつも行ってるよ?」
いくらおしゃれに無頓着とは言え、髪は伸ばしっぱなしというわけにはいかない。それなりに定期的に通っているし、それなりにちゃんとした店に行っているはずなのだけれど。
「いくら腕の立つ人でも、その人の外見に合わせて切ってくれるわけだから、あんたの恰好じゃ限界があるのよ。まずはちゃんと綺麗に切ってもらえる恰好で行かなきゃ」
何気に失礼なことを言われていると思う。ジーパンにニットって普通だと思うのだけど。
「普通じゃダメなのよ。そんなことだろうと今日はわたしの服持ってきたから。とりあえず、これに着替えなさい。買い物は美容院の後ね」
着替えの入った袋を押しつけられて、さっさと着るように促される。わたしがその服を手にとって着替え始めると、山崎は携帯でどこかに電話し始めた。
「だからさ、アンタの腕次第なのよ。自分の思う通りにしてみたいって以前から言ってたじゃない?今回がチャンスだってこと。え?予約?他に回せばいいじゃない。…ええ、どうせ“キャンセル待ち”なんて言葉面だけ良い名目が付いてるんだから、なんとでもなるんじゃないの?」
「頼むわよ」なんて、姉御な言葉を放ちながら、山崎が電話を切る。
「あら、やっぱり見立て通りね。わたしが着れない服でもアンタなら似合うわ」
珍しく褒める親友の言葉は慣れない。特に誰にもあまり言われない言葉だから余計に不思議な感じがする。むず痒いような、慣れない感覚。
「足元がスースーする。これってさぁ、女子高生並みじゃない?若づくりって言わない?」
「馬鹿ねぇ。女子高生はそれの倍くらい短いわよ。それに若づくりじゃなくてまだ20代なんだから実際若いのよ。そのくらい耐えなさい。寒さなんて気にしてたらダメなのよ」
確かに山崎のスカートもそれなりに短い。見苦しいほど短くはないけれど、野暮ったい長さでもない。きっと足が長いから短く見えるだけなのかも。
「上着はこれね。鞄はこれを貸してあげるから」
サクサクと出かける準備を進められる。山崎の用意の良さには本当に感服する。仕事での抜けのなさが普段にも活きているんだろうな。
「車は前に止めてあるから」
スタスタと先に立って部屋を出ていく彼女を慌てて追う。慣れない高いヒールに躓きそうになりながら、必死でエレベーターに滑り込んだ。
山崎の運転する車は小型車だけどエンジン音も小さくて、彼女の見かけどおり上品な車だ。実際の彼女を知るわたしにはなんだかもうちょっと荒っぽい車の方がイメージとしてしっくりくるのだけれど。
そんな小さな車は街中をすいすいと淀みなく走り、20分と経たないうちにある店の駐車場に入った。
「ね、ねえ、山崎。ここって美容院だよね」
「サロンって言うのよ。このあたりじゃ割と有名ね」
「あ、ちょっと、あの人知ってる気がするんだけど」
「有名人も御用達で、奥に個室完備だし。周りの目を気にせずに済むからね。ただ、スタッフ一人一人の拘束時間が長いから完全予約制。外の開放ブースなら割とリーズナブルだし、キャンセル待ちなんてざらじゃないかしら」
この間、ここの特集を見た気がする。ローカルなネタを取り上げる番組で、持ち時間の少ないものだったけれど、おしゃれの好きな女の子たちに人気の番組だ。トレンドを紹介するコーナーだったか、いま流行っているというこの店がちらりと映っていた。
「テレビの影響はすごいみたいね。以前よりひっきりなしに予約が入るって」
「そんなとこ、入って大丈夫なの?さっき予約入れてくれてたみたいだけど、予約の電話の後すぐなんてどう考えても無理じゃないかな」
焦ってきょろきょろと忙しなく辺りを見回すわたしと違って、山崎はどこか余裕の表情だ。
「大丈夫だって」
にこりと笑う彼女。カウンターへと近づくと受付のお姉さんと何やら声を掛けて、二言三言話している。お姉さんは何やら頷くと、頭に付けたインカムで何かしゃべっている。
「急すぎるぞ」
その数秒後に現れたのは、スタイリッシュな美容師さん。どうやら店のスタッフさんらしいけど。
「そう言うな。前から実験台がほしいって言ってたじゃない」
「確かに言ってたけどな」
「じゃあいいじゃない。ほら、早く」
呆れ顔のお兄さんを前に、強引に山崎が押し切ってわたしを前へと突き出す。
差し出された獲物のように、わたしは固まっていた。
「へえ、確かにいろいろと弄り甲斐のある」
「でしょ」
何気に失礼なことを言われている気がするが、自覚がある分否定はできない。
ああだこうだとそのお兄さんは提案を始めたが、わたしにはただ頷くしかできない。そんな高度な言葉を出されても理解できないもの。山崎にはとりあえず頷いておけと言われた。「悪いようにはしないわよ」だなんて、悪徳商法のような言葉を信じても良いのか一抹の不安はあるけれど。
「じゃあ、こちらにお掛け下さい」
いつも行っているとこのものより高級な椅子に感じるのはこの場の雰囲気のせいでしょうか…。何もかもが特別に見える店内に未だどぎまぎしつつ、言われるままに腰掛けた。
「これからは俺に任せてもらうからね。もし不満があれば口を挟んでくれても構わないけれど、ある程度は俺を信じてもらっても良いかな」
「はい」
口を出すなんてとてもじゃないけどできないとは思うけれど。それに山崎の太鼓判があるこの人だから、まず間違いないのだという気がする。
「始めるから」
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