嘘つきな彼女

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  1.作戦を立てる男  

どうやって始まったのか分からない。
いつの間にか、本当に気付いたらいつの間にか、手に入れることに躍起になっていた。子供のころから自分のものにならないと我慢がならない性分。でも、必死になることなんて滅多になかった。特に、女性関係には不自由していなかった…はずなのに。

「この間はありがとうございましたぁ」
この甘ったるい声の女。甘いのは声だけじゃなくて匂いもだ。あからさまな雌の匂い。これがそそるという男もいるだろうが、繊細な俺には耐えられない。
「ええっと、森本さん?」
確か研修で俺が指導したチームにいたはずだ。彼女と一緒に。
目の前にいる匂いのキツイ女を見ながら、“あいつ”は確か匂いも俺好みだったと不意に思い出す。この女とは違って地味で目立たず、男に対して媚もなければ、普段から可愛げもない。普段そう表情が多い方じゃないようだが、ふとしたときに見せる笑顔が可愛い、…ような気がする。今時流行らないダサい眼鏡のせいでイマイチはっきりとしないけれど。
「この間って歓迎会だよね?あれの幹事俺じゃないから、お礼なら杉山に…」
「いえ、その後次も誘ってくださったじゃないですか」
メールで、と言われてふと疑問を抱く。俺はこの雌とメールをした覚えはない。むしろアドレスを教えた覚えがない。自分から進んで教える方でもないし、ましてや自分から誘うなんて…。
「忘れちゃったんですかぁ?この間、ホラ」
狙ったように甘ったるいピンク色の携帯を取り出して、その画面を見せてくる。目の前にはけばけばしい装飾の画面が…
「あ、…ああ……」
そこで初めて気付くなんて、俺としたことが何たることか。今まであのけばけばしい文面を見てなんとも思わなかった自分は相当馬鹿だ。あの派手さからあいつじゃないなんて気付けなかったのは、どうやら自分で思っていたより状況に舞い上がっていたらしい。柄にもなく。
「…そうだ、その日ね、取引先と打ち合わせが入っちゃって…」
この女の罠にはまってしまったら、どうにも抜け出せない気がする。年下で新人、それにそこそこ普段から可愛いと言われる部類に入るのであろうこの女には悪いが、俺には今こいつが女郎蜘蛛にしか見えない。普段から俺は肉食派を自負しているが、どうもこの女と対していると捕食動物になった気分に陥るのだ。
「じゃあ、わたし違う日でも構わないです」
「ごめんね、しばらく時間がとれそうにもないから、また改めて連絡するよ」
過去、付き合った女は初め皆奥ゆかしい少女のようだったのに、なぜだか後々ほぼ100%と言っていいほど我が強くて付き合いづらくなる。明るくて人懐っこい性格も、度を過ぎればただの鬱陶しい甘えになるだけだ。
「絶対、ですよ…?」
「うん、わかった」
こういう手のタイプはとりあえず言うことを聞いておくに限る。引き延ばすだけ引き延ばして焦らせば、そのうち逆切れして「もういい」と言ってくるに違いないのだ。
「じゃあ、仕事戻るから」
納得のいかない顔をしたままの女を残して、これからしばらくの残業を覚悟しながら仕事に戻る。仕事は探せばいくらでもある。忙しくするすべなんて、腐るほどあるのだ。あんな風に言った手前、手すきにしているわけにもいかない。それなりに残業してそれなりに忙しくしなければ。
こうやって、難を逃れるために働いた結果、俺の成績は上がり、思わぬ形で昇進が決まった。ポストは大したことがないが、手当が増え、基本給も上がり、ある程度重要な仕事も任されるようになった。
そうやって仕事が順調にいくにつれ、ただ忙しくするだけでは済まなくなる。ある程度、要領良くこなさないと、終わる仕事も終わらない。

仕事に追われるたび、女に構う余裕がなくなる。自ら率先して始めたことなのに、元々の目的を大きくずれてしまったことに気付いたのは、主任に昇格して1年が経とうとした頃だった。

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