嘘つきな彼女
2.手こずる男
「桐島さんって、眼鏡取ったら美人そうだよな」
そんな会話を耳にして、ようやく焦りが出てきた。
会話の元は、俺の上司である二之部部長だった。できる営業マンで、出世頭。面白いぐらいにトントンと上がり、若干36歳にして部長に就任した凄腕。
尊敬できる人だが、今の言葉は聞き捨てならない。
「二之部ってば親父〜。まあ確かに、美亜ちゃんって、眼鏡がもったいない感じがするわよね」
ほろ酔いで楽しそうに口を挟んだのは、部長の同期で秘書課の元締め、曽根主任。歳は確か高卒で入ったとかで32歳のはずだが、そうは見えないほど若々しい。もちろん良い意味で。この人に憧れている輩は多いはずだが、秘書課という女の園のトップということもあり、普通の男には高根の花だ。
ちなみに、部長とこの人の仲は怪しいと俺は思っている。二人とも絶対そんなそぶりは見せないが。
「随分親しげだな、曽根」
「まあね〜。可愛い後輩の親友ですから」
「ああ、山崎さんだっけ?あの子も美人だよな」
山崎、と言う面識のないはずの俺でもと思い当たる子がいる。確かに桐島と仲が良かった印象がある。桐島は目立たない花だが、山崎は華やかで人目を惹く花だ。
「なんだかうちの会社には良い女の子なのに恋人がいない子が多い気がするわね。どう思う、井関くん。あの子いいなぁ、とかないの?」
「曽根、それこそオバサン」
「黙れ二之部っ」
ねえ、と俺にもう一度問いかけてくる。俺はいつもの微笑みを浮かべ、曖昧な答えを返す。
「確かにお綺麗な方が多いですよね。僕にはもったいない人たちばかりで」
「あら、そんなこと言っちゃって」
俺に関する噂があるのも知っている。会社の中ではややこしいので手を出していないが、実際引く手数多なのは認める。社内の目を気にしなければ、女性関係には不自由しないだろう。
でも、俺が今狙うのはただ一人だ。
その彼女は、相当に手強いが。
「いつも悪いね。たまにはご飯でもおごるよ」
わざとらしく何度もお茶出しを頼み、それを口実にご飯に誘う。安い手だとは思うけれど、こうでもしなければなかなか接点がないのが事実なのだ。
自慢じゃないが、誘いを掛けて断られたことはほとんどない。それこそ重要な用事でもなければ、二つ返事でOKがもらえるものだ。
「いえ、そんなに大したことをしたわけではないので、お気持ちだけで十分です」
相変わらず表情一つ変えない可愛げのなさ。綺麗にすっぱり断られて、これ以上取り付く島もない。必要以上にしつこく迫るのは俺のキャラではない。普段ならそれほど迫る必要もないのだが…。
「ああ〜、また失敗?天下の井関さんが形無しだねぇ」
「松永、うるさい」
嫌なところを嫌な奴に見られたものだ。
松永悟。同期で課は違えど俺と同じ営業。俺は普段“紳士でクール”という定評を持っているが、こいつは重度のフェミニスト。それが性根なのか、どんな女性に対しても歯の浮くようなセリフを履いているところを何度も見かけたことがある。
そんな気色悪さが嫌がられない程度に、顔も良いのだろう。なぜか俺とこいつは比べられることが多い。成績や仕事の出来はまだしも、付き合った女の数まで邪推されるのには辟易する。
「桐島さん、か…。井関にしては良い線突いてくるね」
「余計なお世話だ…。って、良い線ってなんだ」
どうも良い方に含みがある気がする。さすがに長年同期をやっていると、そう親しくないこいつが相手でもある程度表情の違いが読めるようになる。…楽しんでやがる。
「桐島美亜、3年目ながらに仕事の出来はぴか一。覚えも良いし、頼んだら二つ返事で引き受けてくれる。抜けがないから頼むのも安心。恰好は地味で目立たないけれど、あのダサい眼鏡で分かり辛いだけで結構可愛いのじゃないかと言う噂付き。こそこそと狙ってるやつもいるとかいないとか」
「…やけに詳しいな」
「俺もそのこそこそ狙ってる一人だったりして」
冗談ともつかない口調で、松永がほざく。こそこそと狙ってるやつがいるのは知っているが、ある程度は排除できると踏んでいる。俺に敵うやつなんてそういるまい。だけどこいつは別だ。“人が良い”と評判のこいつの、得体の知れなさを俺は知っている。
ピリリ、と電子音が鳴りだす。自分のポケットに手をやると、営業携帯が着信を告げていた。表示を見る限り、相手は取引先のようだ。
「はい、井関です。…ああ、いつもお世話になっております。ええ、その件はですね…」
俺が電話を取ると、松永はにこやかに俺に向かって手を上げ、部署に戻っていった。
その後ろ姿を見ながら、あいつがどう出るにしろ、もうそろそろ動かないといけないと思い始めていた。
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