嘘つきな彼女

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  2.平凡な彼女  

彼と初めてまともに話したのは入社して随分と経ってからの、本当に何気ない一場面。まさかその時は、彼に標的にされたとは思いもしなかった。

入社して4年目、そろそろだいたいの仕事はそれなりにこなせるようになって、応用だってなんとかできるようになってきた。そんな時、部署の統合の話が出た。
わたしのいる部署は、元々うちの会社が使っているビルのワンフロアを占めていたのだけれど、不景気の波もあって、別のフロアにあった部署と共同でワンフロアを使うということになった。
経理と総務と人事が合体したような部署だったフロアが、営業一課といういわゆる前線をいく部署と階を共にする。そんなこと、うちの会社の中で異例中の異例だった。確かに、経理と人事の仕事も任されたうちの部署が一緒だと、経費の処理もしやすいし、営業の評定もしやすい。うちにも営業課にも得なわけだ。
人事はさらに専門の部署があるのだけれど、うちがある程度評定をしておくと、判断材料がある分早く処理ができるということらしい。実際、二課の評定は人事部が直接するらしい。
営業一課は外回りの多い部署で、出向いて仕事をすることが多いから、うちとの統合が良いと判断されたのだ。
二課は業者向けの営業を主とし、関係する会社も限られているから、電話応対等も多い。人事と情報部と統合されたと聞いた。
つまり、外回りの多い一課は二課に比べて、男性が多い。そしてその中でもできる営業と言うのは、女性陣の関心も高い。事務作業の多いうちの部署は女子社員が多く、一課に対する興味も高かった。

“井関 康隆”
この名前を聞いたのも、女子の噂でだった。確かすごく成績の良い社員で、将来有望で若手、顔もよくて愛想も良いとかいう話だったと思う。男女にかかわらず皆べた褒めで、羨んだりしても、小さな僻みを言うくらいで、その人に対して何かしてやろうという考えを持てないほど、人当たりのいい人物だということだった。
…だった、というのは過去にそういう噂を聞いたからで、今のわたしの評価は違う。もちろん今でも周りの人間は彼のことを悪く言う人なんて見掛けたことがないし、むしろ良い評価しか聞いたことがない。でも、あくまでもわたしの評価は違う。
ヤツは、悪魔だ。

「桐島さん、お茶頼めるかな」
営業課と統合されてから、こういうお茶くみを言い渡されることも増えた。
銀行などのお客様商売の業者は、二課でなくても良く訪れてくる。そういうときのために同フロアに簡易の応接室が3ブース程在り、そのどれか一つはほぼ毎日使用される。
「はい」
短く返事をして席を立った。お茶くみなんて雑用、嫌がる人も多いけど、ちょっとした休憩だと思えばわたしはあまり嫌じゃなかった。ずっとデスクワークじゃ肩も凝るし、お茶にわざわざ立つのも気が引ける。お茶くみを理由に給湯室に行き、帰りに自分にお茶を入れて帰るのも良い。社員同士の給湯係なんてものもないから、自分で淹れるしかないのだ。
「ちょっと、役得じゃない」
「…は?」
隣のデスクに座った同期の女子がにやにやと楽しそうに話しかけてくる。プライベートでも仲の良い同期、山崎だった。
「あの井関さんよ」
「…“あの”?」
知らないの、という言葉とともに吐かれた溜め息は呆れを含んでいて、わたしをむっとさせた。
「…女子社員の噂の的、ってこと?」
「なんだ、知ってるじゃない」
知ってるも何も、毎日のように聞かされていたら噂の欠片ぐらい覚えはする。自慢じゃないけれど、物覚えは良い方だと思うもの。
そう言い返したら、「そうね、疎いだけだものね」と笑って返された。
そんな山崎に背を向けて、お茶くみに向かう。確か、第3ブースだった。ということは、他にもブースに業者さんが来ていて、普段よくお茶くみに駆り出される新入社員の女の子が手が空いていないということか。
偶々駆り出されたお茶くみ。

それが、井関康隆との出会いだった。


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