嘘つきな彼女
4.強引な男
少し強引な方法だったと思う。
普段良くスマートだと評されるほど、俺は自分の意思に沿って物事を進める能力に長けている。…と、思っていた。
だから、今まではそれなりに押してみれば簡単に手に入るものばかりで、もちろん努力はしていたが、何事に関しても然程苦労というものはなかった。
学生の時から、女性に関しての好みはあったが別段相手に対して執着というものをもったことがなかったので、寄ってきた女は拒まず、関係が冷めれば、又は煩わしくなれば終わり、というのが俺のパターンだった。
社会に出てからはあまり女性関係が派手だと仕事に支障をきたすので、学生の時ほど無茶はやらなくなった。寄ってくる女の中でも、ドライで大人の関係が望める相手を選ぶ。お互い過剰な干渉はせず、というのがスタンスで、学生の時よりは関係が長く持つようになった。ただ、ドライな分、付き合っているという感覚は随分と減りはしたけれど。
そんな女性でも、長く付き合えば不満を言ってきたり、束縛をするような態度をとる。
「仕事とわたし、どっちが大切なの!?」ってそりゃあ、仕事だろう。女は勝手だ。地位や名誉のある男を望むくせに、昇進のためにとあくせく働く俺を非難する。「仕事、仕事で構ってくれない」。当り前だろう。何もしないで出世できる仕事なんかない。
それなら初めから地位も名誉も手に入れているやつと付き合えばいい。そう言って別れた。
友人は俺のそんな態度を見て「ヒドいやつだ」と苦笑した。でも、羨ましい、とも。彼らは付き合っている女性に惚れてしまっているので、そんな簡単には割り切れないと言う。昇進は狙いたいが、彼女にも愛想を尽かされたくない。どちらも両立というのが難しいのが分かっていても。
間違っているとは思わない。ただ、俺にはそういう生き方はできないと思った。
それが今、大事な仕事を放り出して、こうやって定時に上がってきている。
「イタリアンでいいかな」
「…はい。どこでも」
興味の無さそうに呟く彼女の横顔をちらりと見つめ、ギアに手を掛けた。通勤用車の助手席にいる彼女は、ひっつめ髪でシルバーフレームの地味な女。以前の俺なら全く食指が動くタイプじゃないのに、今は隣が気になって仕方がない。
「一応見当はつけてるんだ。味は保証するよ」
「……そうですか」
相変わらずつれない反応。“一応見当はつけてる”だなんて白々しくスマートさを装う俺にも気付かず、浮かれた様子どころか嫌そうな素振りまで見せている。全くもって楽しそうでない顔。なぜこんなに必死になっているのかわからない。でも、どうやっても彼女の笑うところが見たかった。
「着いた」とはわざと言わずに、店に車を停めると、颯爽と助手席側に回る。彼女は慌ててドアを開けて降りようとしていたけれど、俺の方が早かった。降りてきた彼女に手を差し出す。
どこぞの紳士か。余程の場でなければ俺もあまりしたことがない。フェミニストな男を喜ぶ女は多いが、俺はもともとそういうタイプではない。受けが良いからたまにするだけだ。普段ならそんな面倒なこと、すすんでやったりしないけれど、彼女の場合はどうにかエスコートしてやりたかった。…手に触れたかったという単純な感情のせいではない。
「初めてきた?」
「はい……」
ここに連れてきて良かった。桐島は呆けたように店内に見入っている。
高級なイタリアン、とまではいかないけれど、小洒落たイタリアンレストランで、隠れた名店だ。1年ほど前にオープンしたのだが、車でないと行きにくい場所にあるせいか、平日であればそんなに混んでいない。その道に詳しい友人に聞いて知った店で、女を連れてきたのは初めてだ。友人同士でよく使う店で、鉢合わせたら困るので、デートには使用したことがなかったのだ。
味もお墨付き。食材は厳選されていて、文句なし。シェフもどこぞの有名ホテルのシェフを引っ張ってきたとかいう話だ。
「ここのおすすめは窯焼きのピザと新鮮な野菜、魚介類なんだ。ワインもおすすめ。年代物ではないけど、質の良いものをそろえているから、良かったらおすすめを頼もうか?」
彼女の緊張をほぐそうと、グラスを頼む。桐島は最初遠慮していたが、料理が揃い始めると少しだけ表情が明るくなった。以前甘いものを渡したときにも思ったが、好物には弱いらしい。
「おいしい?」
「はい、とっても」
素直な桐島は可愛い。普段見せないような笑顔が、段々と現れ始める。ちょっとした表情の変化に嬉しくなって、俺の口も段々と饒舌になる。
無理やり強引に連れてきた形になったが、どうやら今のところうまくいっているようだ。
「これ隠し味にレモンが入ってるんだって」
「へぇ、通りで爽やかな口当たり…」
確か一人暮らしとか言っていたか。料理に興味があるようで、無意識なのか口にするたびに何か考え込む表情になったり、あれかなこれかなと小さく独りごちている。
そんな彼女を観察する。考え込むように顰められた眉は、化粧っ気がないけれどきれいに整えられている。シルバーフレームの奥には澄んだ瞳。ひっつめられた髪は細く艶やかで、頬や首筋のラインがきれいに見える。華奢な体つきは、白く、服の袖から伸びる手指さえ愛らしく感じてしまう。
俺の脳がいかれてしまったのだろうか。社内の評価は散々なこの女が、どうも可愛く見えてしょうがない。
「井関さん?」
「ああ、そろそろ出ようか」
我ながらなんて単細胞な、と思う。10代の少年でもあるまいに、そうがっつく年頃でもない。
「ああ、井関です。ええ…。こんばんは。急で申し訳ないんだけど、一部屋とれるかな。いや、無理を言って申し訳ない」
とある場所に電話を入れる。いつでも使用していいと言われているのだから問題はないだろうが、それでも確認だけ取っておく。それに、無断でお世話になるのはどうも癪だ。どうせ使うなら、堂々と使ってやる。
「さて、行こうか」
私用で電話を一本入れると断った俺に、先に車に乗せておいた彼女が頷く。最初この車に乗った時よりずいぶんと表情が解れた。
心なしか、相変わらず口数は少なくてもその表情は好意的なように取れてしまう。
少しは俺に打ち解けたのか。そんな彼女の変化を見ながら、俺は行く先を考えて車をスタートさせた。
Copyright (c) 2010- Yuki All rights reserved.