嘘つきな彼女

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  7.絡まれる男  

体だけ懐柔したって虚しいだけだ。
本当は心がほしい。笑った顔が見たい。微笑んで、俺が伝えるくらいの甘い言葉を返してほしい。

そう望むのは欲張りなのだろうか。


「美亜ちゃんは実に良い顔で笑うようになったよね。たまにドキッとさせられるな」
微笑んでほしいのは俺に対してであって、別の男には一切見せなくて構わない。むしろ、見せたくない。
「色気っていうのかな。妙に女っぽさわ感じると言うか」
名前で気安く呼ぶのも気に入らなければ、そういう目で見ていること自体、腹立たしい。
「聞いてる?井関」
特にこの男に関しては。

「…何か言ったか」
「そんな怖い顔で聞こえてないフリというのはずいぶん無理があるんじゃないかな」
ワザと俺を苛立たそうとしているのは分かっているが、どうしても感情を抑えることができない。
「松永、俺と離れて食べればいいんじゃないか?別に同期と言えどそんなに仲がいいわけでもないんだし」
「俺と井関の仲で何言ってるんだ」
気持ち悪いことを言うな。嫌そうな目をしてみれば、松永が珍しく困ったような顔をする。
「女の子は可愛いと思うし、好きなんだけどさ」
松永がチラッと後方に視線を走らせる。つられて目をやると、見たことのある姿が写る。
小野寺女史。 原因はあれか。
「積極的な女の子も嫌いじゃないんだけどねぇ」
噂で聞いた話、小野寺女史がこいつに結婚を迫っているとかなんとか。彼女も適齢期と呼ばれる年なので、そういう噂が出ているのだと思っていたが、こいつの反応から見るに強ちその噂も間違っていないらしい。
ふらふらと遊びまわっているからこういうことが起こるんだ。…人のことが言えたものじゃないけれど、俺は昔からちゃんと選んで付き合っている。ちゃんと、一定の距離を置ける相手としか交際していなかった。
「家庭を持つのが早いとは思わないけど、もう少し自由でいたいって言うのが本音かな。井関もそう思わない?」
「………俺に聞くな」
「美亜ちゃんとか家庭に入ったら良い奥さんになりそうだよね。癒されそうって言うのかな」
だから、邪推するなと言うのに。こいつの頭の中で、エプロンを着て旦那を迎える美亜のイメージがされているかと思うと、無性に腹が立つ。自由でいるのは構わないが、自由に想像する中に美亜を巻き込むのはいただけない。
「だからそう不機嫌な顔するなって」
「…わかっててやっているだろう」
こいつは昔から性質が悪かった。大抵のやつは嫌味を言ってきても受け流すぐらい簡単だったが、松永に限っては俺の嫌がるところをピンポイントで突いてくるので、どうしても平静を装えない。こいつは昔から俺を苛立たせる名人だった。

「隣、いいですか?」
噂をすれば、だ。視線を上げるとすぐ間近で小野寺女史が妖艶に微笑んでいた。真昼間の社内で周りの視線も気にせず大したアプローチだ。別に彼女は脱いでいるわけでもなければ、あからさまに迫っているわけでもない。でも、どうしても彼女のイメージが強烈過ぎて、獲物を狙うハンターにしか見えない。
間違いなく松永は小動物タイプではないけれど、彼女を相手に考えれば被捕食者に見える。
「どうぞ」
無下に断るわけにもいかず、曖昧に微笑んで松永の隣を促す。そこは間違えても俺の隣に来られると困る。狙われるのは松永だけで良い。
「昨日のメール、見てくれました?」
「ああ、昨日から充電切らしちゃっててね、まだ見てないんだ。なんだった?」
明らかに嘘と思える言葉を爽やかな笑顔で誤魔化す。こいつの得意分野だ。
本当だったらこんなあからさまな嘘、機嫌を悪くしかねないのに、女史は至って冷静だ。
「もう、ヒドイなぁ。ちゃんと見て下さいよぉ」
歳に似合わぬ伸びた語尾。鼻に突くその喋り方が嫌味にならないほどに小野寺の顔は割といい方だと思う。タイプじゃないから鼻に突くのは変わりがないけれど。
「食事に連れて行って下さる約束だったじゃないですかぁ。今日とかどうかなぁと思ってぇ」
わざとらしいしなもここまでくると板についていると言うか。小野寺がやると違和感がない。何度も言うが好みではないので、感心するだけで惹かれはしないが。
「ああ、それね。今日は…」
松永が途中で言葉を切って俺を見る。嫌な予感。観察していたのが悪かったのか、視線を逸らした時には既に遅し。
「井関と飲みに行く約束なんだ」
「俺に気を使わなくて良いよ。どうぞ、小野寺さんと行ってきて」
俺を出汁に使うな、と横目で睨む。困った顔をして見せたって無駄だ。俺はそこいらの女子じゃあるまいし、お前のその手を食らうわけがない。
「じゃあさ、せっかくだし井関と俺と小野寺さん、それにもう一人誘わない?」
「えぇ、でも私、誘う相手がいないです。急な話だしぃ」
「そうだよ。俺は気にしないから是非二人で」
だからそんなに懇願する目をしたって駄目だっての。負けじと笑顔で黙殺する。
「じゃあ、本当に俺は良いから」
逃げるが勝ち。トレイを持って席を立つ。社食は込み合っていて、人目もあるからそう目立つことはできない。
「じゃあ…」と渋々了承する松永の声を背に、なんとか逃げ切ったとほっと一息。あいつらと無駄な時間を潰すぐらいなら、美亜を捕まえることに尽力したい。
美亜が最近定時にさっさと上がるもんだから、なかなか捕まえられない。避けられているとは思いたくないが、これではどうしてもそう考えざるを得ないだろう。
仕事に戻る準備をしながら、頭の中では美亜捕獲作戦の案を練る。捕獲は間違いか。どうやったら、あいつをきちんと手に入れることができるのだろう。

仕事に打ち込むとなかなか自分の時間が取れなくなる。それを分かってはいても、そう簡単に投げだせるほどの立場に俺はいない。
食堂では相変わらず松永と小野寺に絡まれ、なんとか彼女を撒こうとする松永のおかげで余計に小野寺に絡まれ、噂が噂を呼び、変な流れになっているのは知っていた。でも、社内の噂なんてそんなもんだろう。疑いもしなかった、俺が悪い。

でも、肝心なところにまでその噂がまわっているだなんて、痛い他になんでもない。
気付いた時にはまたもや手遅れだった。

 
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