嘘つきな彼女

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  8.焦る男  

逸る気持ちを抑え、慣れた道を速足で歩く。この駅に何度足を運んだことだろう。この公園の駐車場に、何度車を停めたことだろう。
もうずいぶんと見慣れたマンションを見上げ、エントランスでインターフォンを押す。打ち慣れた部屋番号、美亜の部屋だ。
呼び鈴が鳴ったことを告げる小さなランプが点滅する。片手には携帯電話。さっきから何度かけてもつながらない。

この間から、美亜に避けられ続けていた。初めはまた強引に踏み込んでやれば、押しに弱い彼女はまた俺を受け入れるだろうと簡単に考えていた。事実、関係を持ち始めたころはよく避けられていたし、こうなる前でさえ、執拗なまでに俺の誘いは拒まれていたのだから。
ところが、今回はそう単純ではなかったらしく、徹底的に避けられていた。メールの返事もなければ、電話にも出ない。もちろん掛け直してくるなんてことは有り得なくて、もう一度こちらから掛けると『お掛けになった電話番号は、現在電波の届かないところにあるか、電源が入っていないため…』なんて無機質なアナウンスが流れたりする。翌日には電源が再度入れられているようなのだが、またしても何の反応もない。
仕事にも身が入らない。女のことで仕事を怠るなど何たることかと思うが、さすがに大事な契約のアポを忘れかけた時はやばいと思った。このままじゃ、俺はダメになる。

そうして向かった先の美亜のマンション。応答の無いことに焦りを覚え、もう一度インターフォンを鳴らす。
『…帰って』
ようやく聞こえた彼女の声はいつもにまして抑揚がなく、短い拒絶の言葉の後、虚しくも僅かな通信が途切れた。
柄にもなく、その場に立ち尽くすということを初めて経験した。どんなに手を伸ばしても手に入らない感覚に、焦りを覚えたのも初めてだ。
ようやく、最近笑顔を見せるようになっていたというのに。会話が少しずつ増えてきていると思っていたのに。ほんのちょっと、美亜が俺に好意を寄せていると思える時さえあったというのに。

どこでどう間違えた?
小野寺女史の噂が流れていたのは知っている。尾ひれがついて、対松永だったものが俺に取って代わっていたりするのも知っている。でも、俺が欲しいのは美亜だけだ。小野寺じゃない。

後ろから人が入ってきたことに気が付いて、これ以上はここにいられないと悟る。以前に美亜を脅したことはあったが、ここで噂になって困るのは彼女だ。これ以上嫌われても困る。…嫌われたのか、俺は。
俺が一体何をしたというのだ。…いや、自分の今までの行動にはいくらか反省すべき点はあると思うが、俺なりに彼女への想いを貫いてきたつもりだった。多少強引だったのは認めるが。
異常なほどに執着をして、普段紳士な自分を演じて崩さないのに、彼女の前では一つもそんなことをしなかった。いや、手に入れる前はいつもと同じようにスマートに、エスコートしてきたつもりだった。それでも手に入らないのがじれったくて、強引な手段に出た。抵抗はされたもののなんとか彼女を初めて抱いて、それに舞い上がっていた。何度も強引に彼女に迫って、彼女が強く拒まないのをいいことに、何度も自分の欲を押しつけた。それでも、彼女に気持ちがあってこそ、だ。

どこでどう間違えた?
本当はわかっている。今までの俺の行いが、ただの押し付けでしかなかったこと。『誠心誠意』という言葉とはほど遠かったことも。
彼女が俺との関係を誤解したっておかしくないってことも。

「美亜」
エントランスから離れて、何度も繋がらない電話にかけ直す。
聞こえるのはいつも同じアナウンスだが、いつか美亜が出てくれるんじゃないかと幻想を抱く。
「なんですか?」ってちょっと不機嫌な声で、それでも俺を拒まない美亜。抱かれることも嫌がならないから、自惚れていた。
「美亜………、っ…、くそっ。出ろよっ!!」
携帯を地面へ投げつけてしまいたくなる。もう一度悪態をつきながら、髪を掻き毟る。
明日はどうせまた会社がある。そこで捕まえるしかない。
休まないよな?いくらなんでも、そこまでは…避けられないよな。

何度目になるか分からない機械的な音声を聞きながら、俺はもう一度悪態を吐いた。

 
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