嘘つきな彼女
11.捕える男
不思議なものだ。
今まで何も気負うことなく流せていた女性からの誘いが、いまは鬱陶しいものでしかない。
なぜ、彼女じゃないのか。
声を掛けてくるのに顔を上げるたび幻滅しそうになる。皆同じ顔に見えるあたり、俺も相当重症だ。
「この後、何かご用事ですか?」
「うん、先約があってね」
「飲み会ですか?だったら私も行きたいなぁ」
暇だし、と付け足す女の言葉にうんざりしそうになる。だめだ、俺は紳士で通っているんだった。
「ごめんね、個人的な約束なんだ」
眉間にしわを寄せて不満顔。尚も食い下がろうとする女に、我慢しきれず携帯を探る。
「ちょっとごめんね」
笑顔で彼女の不満をかわしながら、履歴の一番上にある名前を呼びだした。目の前で通話ボタンを押す。
♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜
途端に流れる軽快なメロディ。それは聞いたことのあるもので、タイミングがズバリ当たっていたことを知らせてくれる。視線を上げれば、引き攣った顔でこちらを眺めている顔。その身体はどう見ても通り過ぎようとしていた。
逃がすかよ。
「やあ、遅いからどうしたのかと思った」
現れた相手を品定めする目つきで見ている女性陣を押しのけて、美亜の元へと進む。
背中にたくさんの視線を感じるが、それも今はどうでもよかった。見たいならいくらでも見てくれ。むしろ既成事実を作っておいた方がいいのか?
笑顔で近寄っていく俺にますます引き攣る顔。眉は不審げに歪められ、明らかに俺の態度を訝しんでいる。
「あははは、待っておられたなんて知りませんでした。何かご用でした?仕事のこととか?」
早口でまくしたてる彼女。顔には“見逃してほしい”と書かれている。
「何を言ってるんだ。今日は一緒に帰ろうって約束してただろ」
「ははは、ご冗談を。む、向こうで、…仕事のことなら向こうで話しましょう」
強引に誘い込んだ俺の腕を引いて、その場を離れる。美亜は明らかに迷惑そうだが、俺の頬は意識せずとも緩んでしまっていた。また彼女に触れて、憎まれ口を叩きながらも彼女と普通に会話している。その、なんでもないことに喜びを感じているどうしようもない自分。
逃がすかよ。
もう一度、心の中で呟いた。
久しぶりに訪れた彼女の部屋は、以前とまったく変わっていなくて無性に安心する。まさか別の男の気配なんてないだろうとは思っていたけれど、それでも何か変化があったらと思うと気が気じゃない。いつの間にこんなに気が小さい人間になったのか。
「どういうつもりですかっ」
どうやら不満一杯のようだが、憤慨する顔すら久しぶりにまともに見たせいで可愛く見える。俺は余程重症らしい。
その後もどうやら真面目に怒っているらしい彼女は、俺が触れたくても今は許さないとでも言うように、毛を逆立てている猫みたいだ。流されないようにしているのか、俺との距離を一定に保とうとする。瞳に薄らと水の膜が張っているのは気のせいだろうか…。そこまで嫌なのか?
ただ、言い立てている彼女の言葉を聞いていると、どうも語弊がある気がしてならない。彼女の言い分だと、どうも俺が悪い男のように聞こえる。こんなに過去にないくらいに一途に大切にしてきたつもりが、どうも一つも伝わっていないように感じる。まさか、だよな?
「お前、あれだけされてて自覚ナシとか言うんじゃないだろうな」
あれだけ、の言葉に一瞬固まった美亜は、思い当たったのか急に顔を赤くした。何を思い出したんだか、言わせたいところだが、真っ赤になった彼女は「でも」と反論し始めた。
どうやら美亜は、本当に付き合っていないつもりだったらしい…。
俺の気持ちは何一つ伝わっていなかったわけだ。なんだかもう、すごく虚しくなってきた。
俺がどれだけ、美亜に近寄ろうとしていたやつを遠ざけていたか、どれだけ食事に誘おうとしていたやつに仕事を押し付けたか、宴会のときだって、隣には絶対男を座らせないよう画策していたと言うのに。
眼鏡だって、服装だって、髪型だって、容姿に一々口出ししなかったのも、美亜の魅力は俺が知っていればそれでいいと思ったからだ。少しでも周りの注意を引いてほしくない。この眼鏡をはずすのは、俺だけで良いんだ。
「俺だけ、でいいだろ」
そう呟きながら、美亜に顔を寄せる。今度こそ、美亜は嫌がらなかった。また泣きそうになっているのは、今度こそ俺の気持ちが伝わったからだと思っていいんだよな。
でも、美亜はまだ何も言わない。…そういや、こいつの口から俺への気持ちなんて確認したことがなかった。と言うよりも、俺でさえ言葉にしたことがなかった。
そうか、美亜が欲しいのはもしかして言葉なのか?いくら鈍いこいつでも、言葉に出せばちゃんと伝わる、のか。
「美亜、愛してる…」
こんなこと、誰にも言ったことがない。そこんとこ、お前はわかっていないんだろうな。
「ってなわけで、ヤろっか?」
「本当、最低っ!!」
いや、だから、心からの気持ちだって。
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