嘘つきな彼女

BACK | NEXT | TOP

  6.耐える男  

白い肌。影が落ちるほど長い睫毛。艶やかな髪、細くしなやかな手足。
飾り立てれば、美亜は一級品に見えた。
いや、俺にとっては以前から一級品だった。それが露呈してしまった。

「桐島さん、可愛いねぇ」
嫌味なのか、あいつは今朝出たばかりの先週の成績表を目の前にそうのたまった。
表された棒グラフは俺と松永の棒が二つ抜きん出てトップ争い。その頂上は目視で僅かに差が分かるほど。数字で出しても小口1件程度の契約差。
俺と松永はいつもほぼ同率の争いで、週ごとに成績が変わるほど。月刊では大抵俺が僅かに勝っている場合が多いが、僅差で負けることもある。
「最近絶好調だねぇ、二課のトップセールスマンは」
一課のトップが何を言うか。笑顔で睨むけれど、当然気にする様子もない。

「松永さん、来客入りましたけど、先にお茶お出ししても良いですか?」
タイミング良く来てしまった美亜に、ここぞとばかりに笑顔を振りまく松永。
普段の俺とこいつの何が違うのか、俺の普段は「胡散臭い」と言うくせに、松永の笑みには戸惑いを見せる。恥じらい入る姿は今すぐ押し倒したいくらいに可愛いが、その対象がこいつだというのが大変気に入らない。
「いつも悪いね、頼むよ。俺もすぐに行くから」
俺から言わせればこいつも同じだけ胡散臭いと思うのに。
しかも“いつも”ってなんだ。毎回美亜を使うんじゃねぇよ。
「怖いな。そう睨むなよ」
全てわかっていてやっているくせに、少しも悪びれる様子もなく言う。こいつは昔からそういうやつで、昔からそりが合わない。
美亜が去っていったドアの先を見つめ、もう一度「本当、可愛くなったよなぁ」と松永が言う。何よりもこいつがそういう目で美亜を見ているということが我慢ならない。
「じゃあ、お先に」
ひらりと手を振って打ち合わせブースへと向かうやつを睨み、大きくため息を吐いた。

目の前に張り出された先週の成約結果。
先週は僅差で俺の負けだった。


自分のデスクに戻り、外回り用の資料を揃える。グラフデータに、商品サンプル、肝心な広告提案、それらの資料のほとんどを俺は自分でそろえるようにしている。相手にプレゼンするときに、自分で作った方がより自分の言葉で相手に営業できるからだ。
時間はかかるが、成約に結び付く可能性は高まる。資料作成は綿密に行う方だし、そのための下調べにもじっくりと時間を掛ける。もちろんのびのびとやっているわけではない。だが、そう短時間にすむものでもない。

無意識のため息が出た。
今回折衝している先は大口の契約先で、看板が大きいだけに提案もそれなりのものでないと満足してもらいにくい。相手の期待を超えてこそ快い返事がもらえるとは新人のころに先輩から教えられたことだが、まさにその通りだと思う。
この契約を取れたら大きく成績が伸びることは分かっているが、普段より苦戦しているのが現状だ。それを打破するために資料準備にも力を入れているし、時間だってかけている。
正直、睡眠時間は十分に取れていない。…正直、美亜と十分に会えてさえいない。

『お仕事忙しいんじゃないんですか?』
以前は美亜にそう言われて、余裕の笑みで「大丈夫だよ」と返すことができた。能率よく仕事をこなせていたし、契約も順調だった。
ところがどうだ。最近じゃ、以前より必死になって仕事をしている気がする。

正直、美亜が足りない。

静かになった室内を見渡し、本日何度目かになる溜め息を吐く。
残業、残業続きで、終電だって最近は珍しくない。今ももう帰らなければいけない時間が近づいている。残っている人間なんてほとんどいないし、俺のいるフロアは俺で最後のようだ。
フロアの電気を落とし、入口を施錠する。途端に暗くなった社内に、俺の足音だけがこだまする。
携帯を開くと、暗闇に画面が煌々と光を放っている。電話の履歴を呼びだすと、一番上の番号にリダイヤルをかけた。
無機質な呼び出し音が響く。大体10コール近く鳴らさないと出ないので、そう焦ることはないのだけれど、一人きりの中でのその呼び出し音は、果てしなく長く思えた。

『……はい』
声を聞いてほっとする。
「悪いな。遅い時間に…、寝てた?」
『…いいえ。まだ起きてました。康隆さんはこんな時間までお仕事ですか?大変ですね』
本気で労わっているのかそうでないのか、相変わらず美亜の声のトーンは分かりにくい。でも、少し眠そうな声で美亜が嘘を吐いているのが分かる。
『まだ会社ですか?』
「ああ。もう少ししたら帰れそうだけど」
『大変でしょうけれど、お体には気をつけてくださいね』
夜中に電話で起こされたと言うのに、美亜の慎ましさも相変わらず。電話で起こすのはかわいそうだからいままでしていなかったけれど、今日はどうしても声が聞きたかった。
悪いなと思いつつも、美亜の嘘に、気遣いに助けられている。
今すぐにでもあって抱きしめたい。あの触り心地の良い柔らかな肌を思い出す。
俺にとって美亜は麻薬だ。キスをするだけで頭が痺れ、正常に働かなくなる。本能のまま美亜を求め、泣いて懇願しても放してやることができない。
「今週中にはある程度方が付くと思う。週末にはどこか出掛けよう」
どこがいい?と聞くとなぜかくすくすと笑う声。
『随分としおらしいですね』
確かに。いつも俺の思うように事を進め、美亜も決してそれに対して不満を言ったりしない。むしろどうしたいと意見を聞いても、何でもいいと言う返事ばかり。だから、俺が一方的に決めてしまうことが多いのだ。
「…言うな。疲れてるんだ」
また笑い声が上がる。今目の前で、美亜の顔が見れないことがすごく残念でならない。美亜の笑顔は貴重なのに。滅多に表情を崩さない彼女は、無表情なわけではないけれど笑うことが少ない。たまに見せる笑顔がとんでもなく可愛いのだ。
『じゃあ、久々にドライブしたいです。お疲れでなければ、でいいですけど』
あまりにも可愛いことを言うものだから、本当に目の前にいないことが悔やまれてならなかった。どこそこの新しい店に行きたいだとか、新作のあれが欲しいだとかいう女とは違って、もっとわがままを言えば良いと思ってしまうほど、美亜の要望は控えめだ。
ドライブだって、どこにだって連れてやる。美亜と会うのに、疲れているわけがない。
「じゃあ、一日ドライブで遠出しよう。土曜の朝に迎えに行く。どこに行きたいか考えておいて」
何時に、と時間を決めてしまって電話を切った。
目標ができると俄然やる気が沸いてくるから不思議だ。
金曜中に仕事を終わらせてしまうことを目標に、俺は気合を入れ直して再び書類を片付け始めた。



 
BACK | NEXT | TOP
Copyright (c) 2010- Yuki All rights reserved.
  inserted by FC2 system