嘘つきな彼女

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  6.健気な彼女  

外での彼の評判は、紳士的で仕事のできる男。
社内外問わずに人気があって、女性の注目の的。
ルックスが良くて、性格も良い。

もちろんそんなこと、あるわけがない。

「美亜、今日お前の部屋行くから」
最後の片付けをしていると、給湯室で声を掛けられた。それが誰だか分かっているけれど、振り向くともうそこには去っていく後ろ姿しか見えない。わたしの返答は関係がない。わたしに否はないのだ。

彼の傍若無人さは普段からは到底考えもつかないものだった。誰があの優しい顔が仮面だと思うだろうか。
普段、わたしに向ける瞳は獰猛で狡猾な肉食獣そのもの。見せる笑顔はニヒルで意地悪なものばかり。誰があの二面性を知っているのだろうか。
「桐島さん、またお願いできるかな」
あの人の良さ気な笑みを浮かべているのを見ると、寒気がする。あれが嘘の顔だってわかってから、あの作った様な笑顔が気持ち悪いとさえ思うようになった。
だってあの笑顔、わたしに断らせないためだけに作ったものなのよ!ああやって笑いながらすまなそうに頼まれると、他の人の目がある手前、断るわけにもいかない。それをわかってやっているんだ、あの男は。

「桐島さん、いいよねぇ」
僻む女子の皆様に、声を大にして言いたい。あの男はとんでもない食わせ物ですよ、と。
「井関さん、わたしにも頼んでくれないかなぁ」
羨む皆さんに、ぜひとも譲ってあげたい。それをすると後が怖いのでしないけれど。

あのよくわからないまま抱かれてしまった日、目が覚めるとそこには驚くほど整った顔があって、それを見て思い切り声を上げそうになった。
それから自分の恰好を見て、顔面蒼白になった。だって、全裸で腕枕って、これほどベタなものはない。
上げるに上げられなかった声を抑えて、一人で焦っていると、動く気配に目が覚めたのか、目の前の男がゆっくりと目を開けた。
それから「おはよう」と啄ばむような口付け。
「んなっ」
慌てふためくわたしを見て、井関さんが笑いを漏らした。
「っぷ、新鮮」
ククク、と笑う顔はどう見ても人をからかうときのもので、社内では見たことのないそれに、驚いてしばらくしゃべれなかった。
「ふぁーっ、よく寝た」
ううん、とベッドから半身を起して伸びをすると、さっさと自分だけシャワーへと向かう。…っ、パンツくらい履け!
茫然とその姿を見送った後、はっとして時計を見る。時刻は朝の8時。普段なら出社する時間だけれど…、今日は土曜だ。ああ、これもわかって誘ってた?普段休みなんて、予定もないから週末なんてあまり気にしたことがなかった。お泊りなんて、したことないもの。山崎を泊めたことはあるけれど。
奥から聞こえる僅かなシャワーの音を聞きながら、ようやく我に返って辺りに散らばった自分の服を集めた。あれ、…一番大事なものが見当たらない。
「美亜も入れよ」
気持ち悪いだろ、とニヤニヤ顔。むかつく顔すんなっ!
「借りますっ!!」
きっと睨みつけて、羽織れるものだけ羽織って、なんとか脇をすり抜けて浴室の方へと向かう。
が、ガラス張り!ラブホテルでなくてもこんな仕様あるのね…!霞硝子で中は見えないけれど、洗面所に立つと、朧気な輪郭は判る。洗面所まで鍵を閉めて、下着がないことを悟る。
「美亜〜、大事な忘れ物してるよ?」
バンっとはしたなく思いきりドアを開けて、洗面所の前に立っていた井関さんから下着を取り返す。してやったり、って顔。絶対、どこかに隠してたんだ…!
「もう一回する?」
「しませんっ」
あの会社での爽やかさからは到底考えられないこの態度。傲慢で俺様で、こいつのどこが紳士なんだ?もう本当に信じられない。
きっと睨みつけてさっさと風呂場に戻ろうと後ろ手にドアを引く。ところが扉は閉まりきらず、がんっと音を立てて途中で止まった。振り返ると、獰猛な目をした男がこちらを見ている。そいつの手はドアを掴み、腕を挟むようにドアと壁との間に割り込ませていた。
「…なんですか?」
不穏なものを感じて、知らず声が低くなる。何かこの雰囲気は危ない気がする。
「いや、手伝おうかと思って」
「結構です」
「ふぅん、じゃあ後でね」
強硬手段に出られるかと思ったがあっさりと解放され、何か腑に落ちないまま洗面所にもう一度鍵をかけた。あのまま大人しく下がるようには思えなかったけれど…。
そこまで考えて、自分が期待してしまっているみたいに思えて恥ずかしくなる。いや、違う。警戒していただけなのだから、と自分に言い聞かせて、さっさと服を脱ぐ。熱いシャワーでも浴びたら、きっと少しは頭がすっきりするかもしれない。
本当、なんでこんな状況にいるんだか。

結局、シャワーから上がって悪戯されそうになったところでなんとか踏みとどまり、慌ててホテルを出て帰って、二度と関わらないように自分に言い聞かせた。だがその願いむなしく、知らないうちに捕まっている自分がいて…。
まさかこんな関係が、これからずっと続いて行くとは思ってもみなかった。

それでも結局、流されるままになっている自分が信じられない。
社内で内緒の関係が続いて半年経った頃、思いもかけない形で転機が訪れた。

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